大前提としての自由2010年01月22日 19時31分00秒

光り輝く頂
今日も見事に気象情報(天気予報)ははずれました。朝こそ曇り空でしたが、次第に晴れてきて、お昼前から3時頃までは暖かな日射しで風もなく、雪などとのたもうた気象予報には呆れ返ります。実際、求めたのは当たり前の予想であり、決して「いい加減な」確率予報ではありません。かれらは本質を見誤っているのです。

まだ雪を抱く山の峰はその白さ以上に銀色に光り輝いていました。どこか、希望を抱かせる風景です。私たちもまた、あたりまえに明日を望み、何の障害も妨害も脅威もなく幸福に生活していくことを保障されなければなりません。それはそれぞれに求める、あるいは守りつなぐものではなく、当然のこととして不断の姿勢と態度でもって貫かなければならないのです。そして、その大前提として、私たちは何者からも自由である、という当然の権利があります。日本国憲法を引き出すまでもなく、人類の歴史において血のにじむような苦労の末、勝ち取ってきたのです。それを自ら放棄し、あるいは蹂躙することなど、決して許されることではありません。

とりわけ、弱い人たち、小さなものたち、何の力もなく、声さえ上げられずに苦しむ心ある人たちにとって、それがどれほど必然的で不可避で欠くべからざるものか、ということをすべての人たちに理解させる必要があります。例外なく、です。誤った思いこみ、身勝手な決めつけ、利己的な主張、そういったことでまさに、一方的にしかも強圧的になんでもない一人の人間の自由と権利を奪うなど絶対に認められません。そういう輩はこの社会からは排除されます。人間であることの前提を自ら否定するのですから当然です。私たちは、一人一人の基本的な権利と命をすべての人間の心をもった人々と共に守り通さねばなりません。