確かなこと・守るべきこと2010年01月28日 19時21分25秒

何をおいても疑いなく、間違いなく確かなのは、今、自分がそこにいることだといえます。自分自身の存在は否定しようのない事実です。これほど確かなことはありません。ですから、わたしたちは私たち自身を何があっても守らなければなりませんし、近しい人、愛する人を何があっても命を賭けてでも守らなければなりません。そのために、私たちは暗黙の規範や倫理、道徳、私たちに存在を保障する社会を守り、進めて確かなものにしなければならないのです。

人と人との接触があって初めてそこに関係が生じます。一方的な暴言や暴力、不特定の集団による企図された謀りごと、その強圧的で抑圧的な誘導や排撃はその人間の関係を破壊します。また、始めから創 ることさえままならなくなります。ですから、純粋無垢な人に対する恣意的な言動は許されません。それは軽くない名誉毀損であり、進行すればその人の心身を傷つけます。生涯にわたる傷害を負わせることになるのです。いうまでもなく、脅迫や恫喝、ことばであっても暴力は犯罪です。

心ある人たちが、往々にして弱く、力なく、支えなく追いやられたりして不幸に陥っています。でも、私たちはそんな小さき者たちをまた、どんなことがあっても守らなければなりませんし、力をふるう者たちや道理や人の心を理解しないひとでなしたちを排除しなければなりません。その義務が私たち一人一人にあるのです。何よりも、大切なことなのです。そして、その人たちが(もちろん、私自身も含めて)幸せになるよう、祈り願い求めるだけでなく、存在の確立と実現に向けて歩まなければなりません。非道は絶対に通さない、そんな気概をもって。