好天のアキアカネ ― 2006年12月11日 21時15分12秒
確かに、ほとんど冬なのですが、雪もなく、今の状況からはこの冬は暖冬と予想されます(長期予報はもちろん、気象情報はまったくあてにならない)。 11月の信じられない温かさと、最近の速い足取りの寒気の移動を見ると例年のような寒気の居座りとか変化のない冬型の気圧配置は長続きしないように思えます(私の希望的「観測」ですから)。
先の記事にも載せたとおり、この地方でのほとんど冬のトンボの群れは珍しいのです。見つける機会の少なさももちろん、その一因ですが、現実の気候の傾向からも、彼らが思い違いをしつつ居残っているようで、どこか変です。変わらないニホンザルの食餌 ― 2006年12月12日 21時07分12秒
サルたちは西の山の斜面を降りてきて、陽射しの中、ひなたぼっこをしたり毛繕いをしたりで風のない時間をゆったりとしてすごしていたようです。そんな中でもやはり、冬、のせいか、餌はとらねばなりません。冬芽のついた枝をたぐり寄せて柔らかい芽を中心に食していました。この光景は雪の中でも見られます。暖冬だろうと、餌が減るのは変わりません。
活動的になってしまうのか、それ自体が嬉しいのか、彼らは盛んに動き回ります。吹雪く例年の冬とは違う、それは喜ぶべきではない、と決めてみてもこの季節の変容をまだとらえかねています。有明の月 ― 2006年12月13日 20時55分30秒
暗かったので、写真は少しぶれていますが(手ぶれ補正付きなのに!)クレーターもはっきりと見えて、ウサギも落ちそうな高い空の半月でした。
このあと、8時まえにはもう空全体が曇り、太陽さえ見えなくなってしまい、午後にはいると雨。それほどでもなく、夕方過ぎには止みました。西から東へ順当に移り変わる天候はそのままで計算できて当たる、というのはわかります。でも、固定点でのその移行を映すだけ、といってしまえばそのままのその方法がよいとはどうしても思えません。尾根を超えた雲の消長 ― 2006年12月14日 21時24分10秒
写真には発生時は写っていませんが、一番上の10秒~15秒ほど前のことでした。そして大きくなり(一番上)、20秒後尾根を超え(真ん中)、10秒後に消えかかりました(一番下)。わずか、1~2分の出来事で、それでも「雲流」とその消長を観察できたのでした。
今日は昨日からの湿り気(小雨)が下にあり、朝の冷却で下層でも「雲」が発生したようです。雲散霧消するまで追跡できたのは意外に幸運だったかもしれません。こういった動きは案外速く、日常の天候の変動を知ることにもつながります。冬のコナスビ ― 2006年12月15日 21時43分25秒
小さく、背丈もなく、目立つことはありませんが、冬に(普通は春にたくさん咲いています)真っ黄色の花があるととてもよく映えます。この季節だからか、葉も厚く見え、濃い色で茎まで紫色に変わっています。花もギュッと押し固まったように丸くなっていて寒さをしのごうとしているかのようです。
異変とまではそれでも言えません。このコナスビは長く、秋にも咲く花として割と知られていますから、その延長として冬、雪がなければ咲いていても不思議とは言えないでしょう。実を付ける意味では、今咲かせても何にもならない気がします。合目的的な視点でみるべきではないかも知れませんが、なんでやろ、とはやはり、考えてしまいます。チョウゲンボウの停空(ホバリング) ― 2006年12月16日 20時47分40秒
その、狙いをつけて空中に停止し、一気に舞い降りるところを2回見ました。のっぱらの真ん中に躍り出て、しばらく停空(いわゆるホバリング=この言い方は好きではない)していたかと思うと、急に下向きになり降下、捕捉。ゆっくりと近くの電柱にとまり食事となりました。
距離を飛ぶときは滑るように、数回旋回などしてとまります。そうするとかなり長い間見渡しているので、写真は撮りやすい対象ではあります。ただいつも単独での飛翔を見つけるだけで、どこから来て、どこに帰るのか、いまだに推察できません。間違いなく壊れていく ― 2006年12月17日 21時01分22秒
でもその一方で、何もかもが、とりわけ最近、その進行が速くなっていると感じます。どんどんとよくないどころか間違いなく異常な方向に進んでいるのに、それを気にとめないかのような人々の鈍感さは目を覆うべきものがあります。分かり切っているはずなのに、それこそ、多くの人々が声を上げ、行動して止めて変える、そんな態度や雰囲気がありません。ただ、諾々と黙従して、いえ、盲従してしまい、何もかもがおかしな方向を向いています。気づいているはずなのに、力を合わせて、声を合わせて止めようともしません。
形ある物は必ず壊れます。でも、形を目に見える形にしないと誰もはっきりと認識できないようになってきています。それを捉える、心をさえ、今、見失いつつあるのです。どこか、いつか来た道をまた、別の形でより恐ろしい姿にして繰り返そうとしているようです。でも、すべては間違いなく、醜く壊れていきます。またうそっぱちの気象情報 ― 2006年12月18日 20時57分13秒
先日来、きのうまでも、テレビの気象情報などは一番の寒気が来てかなりの雪になる、と脅していました。でも、事実は異なりました。
どこか、こういった「情報」には眉唾もののところがあります。ただ、気象情報はそれほど罪はありません。問題なのはその他の「情報」です。極端な例は『大本営発表』でしょうか。あるいは、自民党の声高な『改革』や必然性のない法律や憲法の『改正』でしょうか。人々を惑わし、目くらましをかけ、さもいいことであるかのように喧伝し支配者や権力者、企業家たちに都合のいい話ばかりをいかにも重大であるかのように思わせ無理矢理数の暴力とお金を握る強みで有無をいわさず押しつける、そんな横暴がまかり通るのも、事実さえはっきりと伝えない報道や情報の、その担い手の弱さが大きな一因となっています。けれど、いうまでもなく、私たち自身が、もっと批判的に見つめ、行動を起こすべきなのは言を待ちません。本当に伝えるべきは ― 2006年12月19日 21時05分44秒
気象情報も天候のいい加減な予報より、現在の状況を整理して一定時刻での数値とその傾向や実際の雲の様子などを示すべきです。数値計算による予報をその評価方法に基づいて的中率がどうのこうのといって悦にいっていないで実際の状態を知らしむるべきです。大切なのは現在を知ること、そこに至る過去の状態を理解することです。
さらに憂うべきは今の社会状況でしょう。どうも、人々の注意や関心があまりにどうでもいいところに向きすぎるようです。生活や将来はもちろん、現在の活動そのものが影響以上の障害や被害となっている社会の法制、規制、身勝手な企業のやり口、暴力や残忍さの横行する街、子供だけでなく私たちを取り巻く教育を含めた環境、そういったことどもから目を背けるようなことばかりを盛んに報道したり愚にもつかぬ番組を組んだりしているように思えてなりません。たとえば、自民党の麻生太郎氏の派閥結成などはまったくどーでもいいことです。それを伝えるなら、この人の発言とその変遷を批判的論評を付けて述べるべきでしょう。現政権の人たちの発言など、そのままうつしてどうしますか。あまりに、お馬鹿さんすぎます。またコガラの群れ喜ぶ ― 2006年12月20日 21時00分10秒
雨上がりの晴れ上がり、となるといつもこのほかには、シジュウカラとエナガも一緒に、なぜか同じ場所に現れるのです。加えて、メジロも逆さまになって残った木の実をついばんでいました。だれしも、晴れた日は嬉しいのです。
彼らを見ているときはわたしもまた、少し幸せです。いやな日常をひととき、忘れ、行動を追い動き営みを観察し、併せて写真(ほとんどデジカメ)に収める、そんな時間はまた、私にとっても貴重な時間です。でもいつも、終えると寂しく、悲しくなります。遠くの山々を見通すとなお、哀しく涙さえ、出そうになります。どこか、はかない、短い命を見つめてしまうせいでしょうか。
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