間違いなく壊れていく2006年12月17日 21時01分22秒

たとえば連綿と続けられる道路工事。いつもどこかで行われています。これを建設とうそぶいても、結果は環境破壊以外の何物でもありません。ことばの乱れ。とくに若い人たちとそれに追従した人たちによる半意図的な使用と喧伝。昔から、力を持つ者たちがその継続と継承を望んで行ってきた抑圧や正当化とそのための法制・支配機構の固定化。恐ろしいのはそれに馴らされてしまって無感覚になり、無頓着に受容しさせられ、しまいには無関心となって社会がそのままに据えられてしまうことです。

でもその一方で、何もかもが、とりわけ最近、その進行が速くなっていると感じます。どんどんとよくないどころか間違いなく異常な方向に進んでいるのに、それを気にとめないかのような人々の鈍感さは目を覆うべきものがあります。分かり切っているはずなのに、それこそ、多くの人々が声を上げ、行動して止めて変える、そんな態度や雰囲気がありません。ただ、諾々と黙従して、いえ、盲従してしまい、何もかもがおかしな方向を向いています。気づいているはずなのに、力を合わせて、声を合わせて止めようともしません。

形ある物は必ず壊れます。でも、形を目に見える形にしないと誰もはっきりと認識できないようになってきています。それを捉える、心をさえ、今、見失いつつあるのです。どこか、いつか来た道をまた、別の形でより恐ろしい姿にして繰り返そうとしているようです。でも、すべては間違いなく、醜く壊れていきます。