元休耕田の朝の花 ― 2006年07月01日 21時04分30秒
4裂した白い花は差し渡し 3mm 、4本の雄しべと2本の雌しべがあります。茎はこれまた白い産毛のような毛で覆われていて、それでいて輪生するマツバのような(名前の由来)葉は毛はありません。それでもまた稠密な花の房が上に伸びているのはかなり目立ちます。
朝の通り道故、ではなく、いつも思うのがこの道沿いの花の外来性と顕著さです。農道なのにしばしば外から来た自動車が通り、海とも近く、そのせいか、とも推察できますが、このあたり一帯、全体的に外来種と侵入する動植物の多さが気になるところなのです。移動や輸送、交流の頻繁さが招いた結果だと片付ける前に、もっと在来の環境を保護する手だてが必要です。遅れ梅雨の花 ― 2006年07月02日 21時33分43秒
花穂全体が大きめで(直径3~4cm)不釣り合いに下の葉は双葉、対生で小さめです。これは葉に毛がうっすらと生えていてどこかかわいらしいのです。頭でっかちの、でも揺れずに開かせています。ここに虫たちがよってくるからいいのですね。
あちこち、場所を変えていくように見いだす場所が異なることがよくあり、また無かった場所に生えている、という、運ばれるような何かがあるようです。はじめに書いたように、そのせいで道ばたにしばしば見つかるのです。これが在来の草本なのか、昔入ってきたものかはわたしは知りませんが、大柄でじゃまになるほどのアジサイよりも控えめでそれでいてきれいな紫のこの花はもっと名に負けずに好かれていいと思うのです。匂いの正体は ― 2006年07月03日 21時09分00秒
漂うのが広範囲で捉えにくかったわけですが、一帯、取り囲まれてはっきりするものです。花火のように球状に開いた花をつけている部分が特によく匂います。その数が多く、しかも生えやすい場所ではいっぱいに広げているものですから、かなりの匂いとなっています。今までこの木がこんなに匂う時期に通ったことがなかったので気づかなかったのです。アカメガシワといえば、広がった葉の上に暗赤色の小葉を数枚つけた形でよく知られていますが、ほんと、意外でした。
誰しも、その特徴を特徴的と思いこみ、それ以外を見逃したり見過ごしたり、全く考慮にいれなかったりして本質を見失う陥穽に陥りやすいのです。これははなから違う、と決めつけ、それ以外が目に入らなかったり気にとめなかったりすると過ちをおかしやすいものです。余計な、不必要な、さらにはあってはならない先入観などを抱かずにただ見つめ、感じること、これこそ基本です。再認識の時でした。もうひとつの匂い ― 2006年07月04日 21時37分17秒
咲いている「特徴的な」花を見、嗅いでみました。その匂い、香りは桃にノイバラを混ぜたような、何とも言えない、いい匂いだったのです。そして、これが今は盛りでとりわけ大きく枝を広げて咲き誇っている個体などはその周辺一帯に薫っていたわけです。これもまた、意外でした。花の形ばかりに目を奪われていて、今までその匂いや香りを気にもとめなかったからです。
ネムノキもまた、アカメガシワと同様、そういったどちらかというと荒れた土地や崩れた場所などによく見られます。好ましい目では見られていない木のひとつなわけで、それがこの香りを匂わせているところが主張をしているようでおかしな感覚に囚われるところです。でも、問題は、明らかに、この種の木々が増えている環境にあるわけです。本来の姿とは異なるからです。モジズリ初見 ― 2006年07月05日 21時28分51秒
もじって、ずりっとなるような花の付き方、らせん状の濃い桃色や薄紅色から薄い桃色まで、色も向きも変化のあるこの花は自然と興味を惹かれます。それで去年もその前も、、、数を数えたり、向きを調べたりとさんざん悩んできましたが、結局、わからずじまいです。
変化、多様性こそが自然の持ち味、一つのモジズリを取ってみてもそれぞれに違いがあり、他の花のような「同じ」形をしていない、というこの不思議。同じ民族でもやはり、人それぞれ、千差万別なのが当たり前なのだ、という当たり前の認識をまた再認識するのです。それにしても、この違いを「決めている」のは何でしょうか。遺伝子型がすべて異なるのだ、とは言えないでしょう。確かな感覚 ― 2006年07月06日 20時49分25秒
みのもんたに対し、「……『朝ズバッ』で毎日勉強していたんです、(それで)FNNの報道番組よりずっといい……」とはっきり言いました。そうです。彼女は確かな感覚を持っていて、賢明な発言をなさったのです。アナウンス室の福井アナ(次長)が「査定にひびくよ」と”脅して”いましたが、事実、彼女の言は決してみのもんたに対する外交辞令ではなかったのです。まじめに彼女はそうのたまわったのです。
TBSの方が女性の美しさでは少し下がりますが、内容はフジテレビより数段上です。斉藤アナはその感覚を失わない限り、雑学や知識では少々難があっても、立派な伝達者としていきていけるとわたしは思うのです。大切な感覚、肌で感じる心、それを彼女はもっていたのです。貪欲なマメコガネ ― 2006年07月07日 21時47分04秒
糞をしながらの食事はいかがか、と思うのは人間ばかりで、彼らはただその中から栄養分をできる限り吸収しようとしているだけだと言わんばかりの食欲です。他にも、コガネムシの仲間がそこかしこで葉っぱに食らいついています。彼らの目的は食物繊維ではなく、中のものでしょう。だからか、近づいてもまず、逃げません。
生きている証、とは失礼ですが、やはり、第一義的に食べるために生きる、生きるために食べる、それが彼らのみならず、生物一般に言えるのです。だからこそ、人間にとっても、仕事は糧を得るため、に他なりません。本来的に、そして、差別的に、価値ある仕事とは無いものなのです。だからこそ、貴賤の別はあってはなりません。人間を人間同士で区別してはなりません。今年も早いウスバキトンボ ― 2006年07月08日 21時17分17秒
ウスバキトンボの撮影は朝に限ります。田んぼや草などに縦になってとまります。今年も成功しました。薄羽、黄色のこのトンボ、群れてこその代名詞とはよく言われますが、個々の姿は早朝の時間のなせるところなのです。気温が低ければ成功率はかなり高く、今日のような朝から高めの日でも時にうまくいきます。
ある種の郷愁というか、情感さえ、群れて飛ぶ姿を目の当たりにすると感じることがよくあります。お盆の時期ならなおさらです。でも、それが早まっているところにやはり、温暖化の影響を感じざるを得ません。近年の急速な温度上昇と夏の早い到来、その持続的な環境が彼らを留め、呼び込んでいるに違いありません。夏のキンミズヒキ ― 2006年07月09日 21時47分42秒
この花はいつもは9月に山の入り口あたりでよく見かけるのですが、その黄色に上向いた花々の垂れ穂をこの暑さでのろくなった足に架けたのでした。そばにダイコンソウも咲いていて、黄色が余計に暑さを助長しているように感じられて困ったものです。
流水にもかかわらず、涼しさを感じないのは日中の照りに押さえられている為です。常に南風が敷き倒すような気候をもたらすのは決して好ましい梅雨の終わりの接近ではないのです。そう、やはり、降水量はかなり少なく、大川の流域も狭まったまま、流量も少なく、これからの夏、「持つのか」、とかなり心配しています。気象情報は全くまやかしです。キマダラセセリ ― 2006年07月10日 21時01分26秒
ここ数日、この暑さに乗ってやってきたのか、畦道やなんかでも見かけるようになりました。この間は雌だったようですが、今度は雄でした。チャバネセセリよりも落ち着きがあり、長い間吸蜜していてこちらには注意は向けられません。この暑さでは、彼もまた生きるため、ですね。
台風の道筋からそれたこの地でも、その蒸し暑さは並以上、おまけに日照りとくると、梅雨とはいかにいます、どこにあります、とでもいいたくなるこの季節、これからどうなるのでしょうか。南風に乗って何が来て、何が去って、何が残って、何が変わっていくのでしょうか。不気味な生暖かさを感じます。杞憂ではありません。
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