構造変化の視点2006年05月14日 18時54分18秒

今日の新聞の社説と新聞社客員による論説の題目はどちらも「格差社会」でした。そのこと自体、大いに問題にすべきで現実そのものですが、社説は少しずれていて、誤った視点がありました。佐々木毅氏(元東大学長)のは逃げているようで羅列的で不十分でしたが、その問題そのものより、もたらした構造変化を考えるべき、というのは的を射たことばです。

私自身は佐々木氏の従来の主張ともども、賛意は示せませんが(佐々木氏は現状をもたらしたその「変化」とその「原因」に目を閉じて批判を避けている)小泉首相により顕在化させられ、あらわに進められた「変化」はまさに現実の憂いなのです。「変化」もその「結果」も私たちの望みではありませんでしたし、これからもその継続が社会、ひいては個々人の幸福をもたらしてくれるとは全く思いません。むしろその顕著な兆候としての「格差社会」の現実がおそって進行していくでしょう。でも、だからこそ、佐々木氏の言うように、構造変化にもっと目を向け、その原因を探り、本当に望まれる「構造変化」を創り出すべく、思考していかねばなりません。

今は農作業、特に田植えの真っ盛りですが、その稲作と農業それ自体、もっと以前から、まさにその土地そのものの改変を伴い、構造変化を強いてきました。その結果は日本がくしくも生み出し維持してきたごく身近な豊かな環境を破壊してきたのです。生物もまた、そのために数・種類ともに急速に減らされてきたのです。社会の「構造変化」以前に、すでにあったこと、これを再度見つめることは今の現実を考え、また異なった、真に望まれる社会の形成に役立つと思うのです。