新緑の中の渋滞2006年05月04日 17時17分03秒

目に鮮やかな黄緑色の山々の美しさと対照的に下界の自動車ののろのろとした列は汚らしい感じがします。まさに萌え、の色と濃い緑と薄い茶色や赤っぽい彩りに目を奪われる風景ですが、下の国道をどろどろと流れる灰色を中心とした車の数珠繋ぎは醜さの象徴にさえ見えます。

現実の問題として、この渋滞を解消させるには、そう、根本的になくすには、なにより、車両の絶対数あるいは、総数を減らすことがまず、第一です。それから、内燃機関による自動車の廃絶を目指すこと、そして、こういった車両交通の仕組みや構造的な輸送形態を変えることです。減らすこと、なくすこと、そして変えること、この三段飛びの思考に早くためらいなく、入らなければ何も解決せず、いたずらに環境破壊と私たちの生活や精神すら破壊することにつながるでしょう。かつての徒歩と公共輸送機関華やかなりし頃の方法に再び目を向けるのもよし、新たな方策を探るのもよし、です。

滞ったから、詰まったから、溢れたから、だから間口を広げる、枝を増やす、その論理でどんどん拡張させ続けた短い歴史の誤りに気づいた私たちがその進歩を願うなら、そう変えるべきです。できるかできないか、ではなく、するかしないか、の選択です。正しい選択は、する、ことです。破滅的な状況になってからでは遅すぎるからです。