私たちの責任2006年05月01日 21時32分00秒

MBSの記者の取材に対し、『君ら、いらんことすな。』と払いのけ、自転車で逃げた大阪市の担当者。それを走って追いかけた記者のことば、『説明責任を果たしてください。』

このやりとりは、端的に役所、つまり官吏の実態を表しています。秘密裏にうまくやってきた不正(支出と工作)はそのまま、特に同和対策ということでそっと、かつ、荒立ててごねられたりされんようにとの方途はほじくられてはいけないというのです。これはそういった例外的な関係の形成と維持に見られます。とりわけ、同和、といったことではさわらぬよう、変につつかぬようとの「配慮」が当然視されがちです。でも、これに限らず、法や道理にかなわぬことを通すことがあたかも大人の世界であり、それで世の中、「うまく回る」といった考え違いを通用させているところに未だ、ほんとうに成熟も進歩もしない社会の姿があるのです。これを維持継続させている一方の側に役人の存在があります。表面的には遵法であり、とがめ立てや弾劾がもっともなされにくい位置にある、という、おかしな常識がまかりとおっているのですから、情けなくなります。

行政執行者にはその行為と言動に対する説明責任があります。民衆の税金ですべて自らの給与を含めてまかない、その予算計画から実際の細々とした支出まで、すべて彼らの仕事なのですから、当然のことです。でも、上記の不正支出問題でさえ、わからないようにやり、証拠を残さずにごまかし、隠蔽し、なしですまそうとするのです。それこそ、選挙で選ばれない執行者たる役人が何の監視も監査も公開も受けずにし放題など、なぜ許されてきたのでしょうか。早く、この仕組みをつまびらかにして、その仕組みを根本的に変えなければなりません。 いつまでもそのままでは、同じことがまた形を変えて繰り返されるだけですから。