傷つく以上に2009年10月03日 19時50分00秒

アカタテハ
暴力は許されません、一般的に。事実、2006年に小学生が女性教師の叱責に伴う「体罰」で自殺した事件での判決はそれを認めるものでした。そういった、昔ならたしなめる意味での軽い「体罰」は自然なものとして認められていましたが、昨今はちょっとした「行為」でも深刻な、あるいは急に昂進する心理的な状態の結果として自殺にまで至ることにもなるのです。最近の子供は、などと言うなかれ、です。これはおとなであっても同じです。本当に、他者あるいは「加害者」(往々にしてその意識は薄い)にしてみれば、ちょっとした、いえ、なんでもないことであるのに、それがその人をしに追いやるほどの心の傷や傷害、あるいは打撃となる場合がしばしばあるのです。

ましてや、あからさまな拳や足によるまさに暴力、いえ、それ以上にことばでの集団的な圧迫や抑圧、暴言、否定的な言動の畳み掛けなどは弱い人、特に絶対少数にされてしまっている人にとり、耐え難い苦痛と苦悶の著しい治癒不能な状態を生み出してしまいます。それは一生、直ることはありません。さまざまな心理療法や精神科治療は試みられ、一見したところ平癒にいたったと思わせる見かけの状態にまで回復したかにみえることもあるのですが、それこそかえって要注意なのです。よく言われるように、少し元気になったころが一番危ないのです。自殺行為を実行する気力と体力を取り戻すからです。

いわゆる「いじめ」は子供社会だけでなく、むしろ大人の中で多く見られまた蔓延り日常的になりやすいという意味で危険なストレス社会の人間をその存在において脅かす深刻な問題です。正当化のためにどのような理由を持ち出そうとも、それは人間として絶対に許されません。ましてや、暴力によって人を従わせようとするなど、言語道断です。人の顔をした悪魔に魂を売ってはなりません。たった一つの命、ただ一度だけのかけがえのない人生です。誰かがその醜さや悪意やねじまがった心で奪うことなど、決して認められません。