オオカミ少年2010年10月31日 23時55分05秒

地に落ちたミカン
嘘をつき続けるともう仕舞いには誰も信用しなくなります。そうして、本当に何かが起こったときにはその嘘をついた人がそのしっぺ返しを受けるのです。これは何もイソップ童話に限った話ではありません。実際、大人の世界でもうそがまかり通ります。そして、何度も何度もいい加減なことをいったりしたりして全く信頼されなくなることはしばしば見受けられるのです。

よく、誰かが困っている人に対して、こうしてあげる、助けてあげる、などといったりします。でも一度ならずも、二度、三度となるともうその困っている人はそんな話やことばを真に受けなくなります。ましてや、うそだとわかった話やことばを幾度となくされたとしたら、その人はもう決して他人の言うことなど聞く耳を持たなくなるでしょう。また、天気予報ならぬ気象情報も同じです。一度外れても、当たるも八卦当たらぬも八卦、と寛容な態度で受け容れる人は多いのですが、二度、三度、あるいはとても大切な予定の絡む場合においてその「気象情報」がいい加減な虚偽だったとわかったら、もうそんなえせ情報など信用しないどころか、聞こうとも思わなくなるでしょう。

私たちは確かに、ことばによって意思疎通を図り、それに従い行動しますが、それはそのことばにそれ相応の信頼性があること、そして、何よりそれが直接伝達されてきた場合の確かな事実と理由に基づく場合に限られます。そうでなければそれは何一つ、意味を成しません。イソップ寓話のごとく、たとえ馬鹿、と罵られようとも、まず、正直であれ、正しくあれ、と私たちの歴史と社会は私たち自身を律するべく教えてくれているのです。「気象情報」なら、確率だと煙に巻いていい加減なことをいってもかまわないのではないのです。これだけ外れるのは根本的に誤りがあることを知るべきです。繕うのではなく、原因は本質的であることに思い至らなければオオカミ少年はやがて彼自身、食べられてしまうでしょう。地に落ちたミカンは誰も食べません。

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