卑劣・卑屈・情けない2010年10月27日 20時50分57秒

マルバグミの花
道を外れる、道理を度外視する、そして人を人とも思わない、そんな人間になれない者たちはなぜ自らを映せないのでしょうか。心を映す鏡を持たない、持てない、いえ、持とうとしないままに時間を重ね、齢を重ね、こどもにさえなれないままに生きている、そんな生活や人生に何も彼ら自身、感じないとすればもはや生きている価値はありません。何よりも知らなければならないのは自分自身であり、それができないままに他者に迷惑どころか傷を負わせたり酷いことを躊躇いもなく行うことに社会は寛容であってはなりません。

前の記事でも挙げた例ですが、たとえば受信妨害を行うのはまさにその一例です。受けた側には何もなすすべがありません。遠くから、手出しのできない、特定できない手段でもって弱い人に卑劣極まりない排撃をする、そんな情けない行為に走ることにむなしさや恥ずかしさを感じないのでしょうか。不満のはけ口や攻撃性を現すなら、誰よりも力を振るう者たち、社会的な義憤に向けてほしいものです。卑屈な小人を誰も相手にはしません。本当に言いたいことがあるなら、堂々と主張し世の中を変える気概をもってほしい。そのためなら多少の無理も認容されようというものです。

数日前までつぼみだったマルバグミは冷たい雨と寒風の後、今日の晴れの空の下、芳しくも狂おしい独特の匂いを発散させていました。植物もその命を咲かせて必死に主張しているのです。中国人みたいな論理も道理もない愚かな独りよがりの一方的な暴力的言動とは違います。その生命の存在そのものの無言の声にこそ私たちは耳を傾けなければなりません。もし、目覚めないのなら、人間をやめるべきです。