思いこみと自己中心性の行方2006年12月09日 22時17分54秒

わざと避ける、あからさまに忌避を示す、そんな態度を意図的に見せるのは正当な理由と事実に基づくなら認められることかも知れません。しかし、まったく接触もなく、しかも後から来てそれを行うとしたら、それは嫌がらせぐらいではなく、今のいじめと共通した人格の否定、人権の侵害(蹂躙)になります。

もっと問題なのは、それをまったく理由もなく、原因さえありもしないのに、正当化を進めて声高に、あるいはこそこそと言い切って当然のような顔をすることです。その起源は、それを行うその人(たち)の心の醜さ、汚さ、幼さ、卑しさでしょう。それらを自分(たち)の内省のもととするのではなく、他者や見ず知らずの無垢な弱い人にむけるところにそのおぞましい特徴があります。

実際、そんなことで被害に遭う人たちがいます。でも圧倒的な力を持ち、押しの強さと数を加えることで突き通すそういった加害者たちには何の意識もありませんから、ことは本当に、悲劇になります。自殺や生活苦、障害に苦しんでも現実には誰も救ってはくれません。それが、今の日本の社会にひろがりつつあるのです。