曇り空の向こう ― 2010年10月20日 20時03分27秒
見えなくなることは恐ろしいことです。隠れて見えない、隠されて見たくとも見えない、そんな向こうで何が起こっているか、私たちは私たち自身のこととして関心を持ち、知らしむるために手をかけなければなりません。中国の内実、奄美大島の豪雨、フランスの便乗した暴徒、インドネシアの現実、オーストラリアの資源経済、数え上げればきりがありません。そして、何より、力を振るう者たちの事実こそ、私たちは明らかにしなければならないのです。
どんよりとした厚い雲、21℃で暑くはないはずなのに、歩くと汗がでてきます。見えないことへの恐れ、不安、疑念。トンネルを抜けて花の咲く下界に降りたとき、見えたのはある人のいぶかしげな動きでした。同じように、中国の暴徒や不満の陰に隠れた現状の隠蔽や意図的な対象の代替化、その格好の標的は日本でした。ここにきて自制を促したり、言っていることと現実とは異なる現状などを見聞きするにつけ、膨らむのは恣意的な教唆・煽動や揺動です。事実を事実として知らしめることの必要性を強く思わざるをえません。しかし、先日の記事のごとく、植え付けられた人々にそれを知ろうとするひとかけらの意思も見いだせません。
気象異変の原因も現象論的な解説や説明に汲々としていて真の原因に迫ることばも議論も観測事実も現れてきません。私たちがもたもたあたふたしている間にも、フィリピンで猛威を振るう台風やその影響の北上で今日の奄美大島の豪雨が引き起こされています。降れば土砂降り、それも極端になり、もはや「想定」や「対策」・「訓練」では防ぎきれません。根本的な、原因の早急な解明と解消が焦眉の急です。そのために私たちがとにかくできることから手をつけなければなりません。
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