いじめ自殺なお悲劇-北海道滝川市-2006年10月05日 21時02分28秒

滝川市教委はようやく少女の「手紙」を「遺書」と認め、その原因をいじめ、と ”会議で判断” しました。でもこれも全国からの抗議の電話やメールによる批判を受けてのもので、1年も前の覚悟(絶望)の自殺(死は翌年(今年)1月)を今頃 ”判断” していても遅いのです。取り返しのつかなくなる前に、どうして救えなかったのか、こんな教委や教師しかいなかった環境はあまりに少女にとって不幸この上なかったのです。やりきれません。

救いがたいのはしかし、彼ら以上に、彼女を死に追いやった周囲の冷淡さと恐ろしさです。陰湿で卑劣な攻撃を執拗に繰り返したまわりの子供たちや訴えを聞きながら何も手を打たず放置した無知無能な教師を思うとき、弱い人たちだけでなく、陰で酷い目に遭わされている人たちをどう救えるのか、と悩まざるをえません。

子供が死を考えるまでに思い詰める環境をいつまでたってもなくさないでいる私たち、繰り返される悲劇に結局いつも事後の「反省」や「説明」(加害者に対しても、です!!)、口先だけの「防止策」の宣言のみですましている関係者の意識のあまりの低さ、そういった社会の不熟さはその原因の追及と解決なくしてはなくせないのです。そのままに子供の世界が寒々とした空恐ろしい状況を作り出させて広範化、持続化している現実こそ、真剣に顧みて変えるときなのです。子供らにも罪の重さを思い知らしめる必要があります。彼女の恨みを晴らすためにもいますぐに。