持てる側いつも強い、でも醜いセイタカアワダチソウ ― 2006年10月03日 21時15分40秒
ロシアに拿捕されて抑留されていた北海道根室の第31吉進丸の坂下登船長がようやく戻ってきました。会見の抜粋をみましたが、やはり、ロシア側は一方的に一切警告なしに銃撃したようです。霧も出ていた由、そんな中での発砲はあまりに理不尽です。もっと許せないのは(盛田さん殺害は言語道断として)一方的に決めつけ、事実なしに嘘で固めてロシア側での専断的な取り調べと起訴を行ったことです。
集団の側につくとその力は圧倒的です。北海道滝川の少女の場合も同じですし、私たちの身近でもまた、圧迫的な攻撃と言動での抑圧と排斥もまた同じです。陰口を言いふらしたり、わざと何人も寄ったり、離れてそこかしこから言いつけたり、といった陰湿で卑劣な行為はその加害者側の圧倒的な優位がその力を強めるばかりか、正当化さえします。後で第三者が尋ねても、皆そうされる側になりたくないが故に、そんなことは言っていない、何もない、で済んでしまいます。聞いた人はそうなのか、と信じ込みます。
企業と労働者でもまた、圧倒的な差と違い故に声さえ奪われ、口を塞がれます。すべてを握る企業側、会社側の強さはその経済力故に、法律の専門家まで引き込んで加害行為・違法行為を正当化させます。北朝鮮もまた、人質をとってきたがゆえに、圧倒的な有利さでことを進めてきました。本来、誘拐(拉致)犯である彼らを日本に引っ張ってこなければなりませんが、逆にわざわざ日本の首相が出向かなければなりませんでした。ロシアもまた、銃で従わせて連れて行ったが故に、思い通りの調書を書かせ、裁判をすることができたのです。
すべてこういった調子です。持てる側、人質を取った側が圧倒的に優位に立ちます。そして、こういったやり方はどんどん、至る所に飛び火するかのようにはびこり、根を生やし、育ちます。まるで、10月に盛りとなる、セイタカアワダチソウのようです。でも彼らはその醜さ、汚さに自らは気づいていません。鑑みることはまずなく、ただただ、自らの利益と支配欲の追求と醜さや幼さ、愚かさを正当化し隠すために推し進めるのです。何という世界でしょうか。
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