ベニマシコの小さな群れ2008年03月01日 19時57分13秒

ベニマシコ
道のそば、というのは便利な反面、足音や気配を感じさせ易い、という点で不都合でもあるのです。きょうも先日の場所、線路の盛り土の下を通りましたが、途端に気づかれてしまいました。流れるように、一斉にたってしまうのです。

それでもベニマシコの群れを確認できました。昨日は全く見かけなかったのですが、きょうはまた、というより、昨日は単にいなかっただけのようです。でもその前にみたような数ではなく、数えられるほどでした(尤も、速くて数えられませんでしたがざっと40から50)。

天候が思わしくなく、北風で冷たい雨がバラバラと時雨れるためか、あまり鳥たちが出てくれません。でも午後には太陽も顔をのぞかせたりでまあまあ、歩ける状況で、シロハラも3カ所で確認できました。

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吹雪挟んでタンポポ咲いた2008年03月02日 20時26分13秒

もう一つのタンポポの花
季節は春かと思えるような、少し温かな日よりでしたが、そのおかげか、山の入り口の道の脇に(南東~南南東)先日のタンポポの蕾だったところがきょう、咲いていました。その前の花だったものは落ちてしぼんでいます。この間、猛烈な北風を伴った吹雪などがあったわけで、それでも冬越しの花は耐えて咲かせたわけです。

もう、この低山にはほとんど雪もなく、歩きやすい道ですが、まだ早春ということで鳥たちの鳴き声はまばらです。例年のような群れや様々な種の出現はもう少し待たなければならないようです。5日は啓蟄ですから、それ以後の期待というところでしょうか。

ほかに、シロハラやカシラダカ以外にはモズ、ツグミが目立つくらいでどこか、晴れて南風でいい季候なのに寂しい限りです。本当の春になれば、我が身を含めて、楽しくなるのは間違いないのですが。

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おぞましきロシア2008年03月03日 20時32分07秒

形式的、いえ、形ばかりは民主主義・資本主義を標榜しながらもなおソ連時代と何も変わらないばかりか、帝政ロシアさえ彷彿とさせる現在のロシアはまた、大統領をプーチンが後継指名したメドベージェフ氏に決めたのです。フランス2(テレビ)によると、投票率を維持・下支えするために無理矢理行かせ(強制)、対立候補は実質的に皆無のままにプーチン傀儡をあからさまに演じて見せたのです。

NHKはそういった外部の放送(報道)と今日のBSでのアンナさん殺害を特集する形で批判を示してはいますが、その、たとえばフランス2に見られるような明白な形での批判と現実の姿は特派員の報告にさえ声高にはみられません。これは残念な姿勢です。北方領土と漁場・漁業権の問題があるにせよ、いえ、だからこそ、もっと対峙する態度で臨むべきではなかったでしょうか。

ロシアと聞けば、闇から闇の暗い権力と暴力の連鎖、冷たい権力者たち、力ずくの姿勢と圧倒する強権、脅迫的で人を人とも思わない冷血さ、などなど、悪いイメージと実際のおぞましさが思い浮かびます。でも彼らもまた、隣人・隣国であり、さらに悪いことには核兵器と資源を握っている陰険さと底意地の悪さが日本にとって不幸な存在となっているのです。我々の2つの問題の解決のためにも、西欧・欧米型の本当の民主主義をロシアに実現させるためにこそ、声を伝え、庶民から、底辺から変えていかねばなりません。根本的に、悪の帝国をなくさねばなりません。

シラガホオジロ見っけ、日本は標的2008年03月04日 20時25分56秒

シラガホオジロのメス
いつもの道、線路の盛り土の藪の中、シラガホオジロを見つけました。おとなしそうな、穏やかな顔をしています。写真はメスです。数えられるほどの小さな群れだったようです。

ホオジロの仲間は似たものも多く、判別にとまどうこともありますが、背中でそれとわかります。冷たい北風の吹きつける中、藪から藪へと移動するところで食餌に格好の場所なのだとわかります。すぐ近くの山との間を行ったり来たりするようです。

格好の、といえば、最近の日本の立場がそうです。反日分子の犯罪を隠す中国には完全に見くびられ、嘘を平然と宣言されてもはっきり言えず、捕鯨でもまたとない標的にされて、シーシェパードの船長には『薬品投げつけで済んでるのだ』などと言われてしまいです。わたしたちはもっと、大声ではっきりと明快な主張をすべきではないでしょうか。歯がゆさだけでは済まない現実に生きているのです。

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今年初のキジ2008年03月05日 20時31分03秒

キジのオス
このブログの記事のことではありません。日本の国鳥、雉のことです。写真のとおりですが、すぐ近くにいたのを撮りました。雪が消えて現れた、といったところと思うわけですが、啓蟄で虫も、とはいきませんでした。今日は5℃、北風もひどく、非常に寒く感じました。

このあたり、しばしばキジに出くわします。オスを見かけることが多いのですが、メスもたまに草藪や藪から出てきたり、低く飛んだりします。いきなり、慌てたようにバタバタバタ、と飛び出たりしますから、なかなかメスを写真に捉えるのは困難です。なぜメスは出たがらないのか、ちょっとした謎です。

似た鳥に山鳥(ヤマドリ)がいますが、この冬、南の山裾で鳴き声を聞いたのみで、まだ今年は姿をみていません。キジのようには頻繁には現れないところが口惜しいところでしょうか。それにしても、まだ春は浅く、餌の虫も出てこないようです。

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オス・メス違いの草藪2008年03月06日 20時32分01秒

シラガホオジロとカシラダカ
同じ盛り土の上の冬枯れの草藪の中、シラガホオジロのメスとカシラダカのオスがいました。それぞれを撮り、合わせてみました。なんせ藪ですから、光の加減で色合いがうまくでません。でも、上の方で同居(いえ、ただとまっていただけ)している様子で南を向いた彼女と東を向いた彼が居心地不安な感じです。

同じホオジロ科の2種、ほかにホオジロも多く、賑やかな場所です。ここ数日はかれらとシロハラの占有地になったようで、餌も少ないこの斜面に何の用で群れるのか、これからの縄張りを主張せんがためでしょうか。併せて数十羽、混交した生息形態は何を意味するのでしょうか

安心感は鳥にもあるはずです。似た種ながら、明らかに違った姿を持つ存在の、互いの意識的・感覚的な交流が群れや共同の発生の源となってはいないでしょうか。人間にしても、お互いの違いを直に知り、その接触と認容の中にだれをも疎外しない、させない環境こそ、むしろ大きな成長・発展・進歩と維持に必要なのです。

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カシラダカ静か2008年03月07日 20時39分53秒

キマユホオジロのメス
西の太陽を見つめていたのはカシラダカでした。いつもの盛り土の藪の上に出て、遠くを見上げていたのでした。写真では色がうまく出ていませんが、カシラダカのメスです。かなり近づいて撮れたのです。鳴き声もたてず、じっと静かにとまっていました。

この草藪にホオジロの同類は多いようです。類は友を呼ぶ、のとおりでしょうか、同じような活動場所を選ぶようです。群れとしては十数羽を確認したのみで、大きいとは言えませんがほっそりとした姿は区別がつきます。

ホオジロ類(ホオジロ科)での雌雄の別はそれほど顕著ではありませんが、それでもはっきりとした違いがあります。遺伝的な進化の過程で生じた違いとのことですが、その発現と制御は遺伝的に説明されるそうですが、どうしてそうなのか、なぜ生じた(つがうため、は別にして)のか、まだ疑問です。

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写真の説明は間違いで、カシラダカのメス、です。

カシラダカ、違う姿2008年03月08日 22時09分42秒

カシラダカのメス
昨日のカシラダカとは姿形が異なるので、一見、違ったかな、と思わせたのもその冠羽の立ち方ととまる格好が別物に見えるからです。実際、よく後で見比べないと間違えます。きょうの姿は明らかに小さくまとまっていて、よく見かけるカシラダカのメスだと確認できました。

藪の重なりと色合いの混合で見分けがつきにくいため、写真に撮るのもなかなかです。動きこそその焦点でしょう。まだ風もあり、表に(上に)出てくれるのも何かのひょうしです。

シロハラはしばらく留まっているようで、きょうは9羽を確認しました(別々の場所、行動)。ほかの鳥たちはもうやってきてくれないようで、先日のトラツグミは吹雪とともに去っていったようで寂しい限りです。

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もっと怒りを!2008年03月09日 20時30分55秒

隠れた怒り(モズ)
私たちが人と接して何かもめ事や感情にさわることがあって怒ったりするのはよくあることですが、さらにもっと大きな、つまり社会に対する怒りとか何か強圧的だったり暴力的だったりしたものごとに対する憤激や抵抗などは本来、留め置くことではありません。

4月から実施される予定の「後期高齢者医療制度」などはお年寄りに対する著しい国家の裏切りであり、各地で怒りがわいている(自治体議会での反対決議525も)のは当然のことです。ましてや、私たち自身の生活や命に関わる医療制度での改悪や不公平・不平等は目に余るものがあります。金持ちはそもそも広く「収奪」してきたからこそなったのに、彼らから税金をあまり取らず、逆進性の最たるものの消費税の税率を上げることまで意図しています。格差を生んだ歪んだ、いえ、ゆがんだ欲と悪意といっていい政策や法を無視したりねじ曲げたりしている企業経営者など、日本社会を崩壊させることにつながることを自覚していません。

テレビ東京の制作番組、ガイアの夜明け、でさえ、ひどい雇用形態と労働者の生活を崩している一因を取り上げていました(きょうのBS-Japan)。本当に、もっと私たちは声をあげて、そして、こういったことどもでこそ、団結して集団で今の為政者や社会の上層にいる愚かな者たちに対して怒りをぶつけなければなりません。それこそ、逆にそういった仕組みや「支配」を崩して、もっと本当の民主主義社会を創っていかないとこの国はだめになります。いまこそ、その怒りを爆発させるときではないでしょうか。

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何も無い「菜の花畑」2008年03月10日 20時03分53秒

菜の花畑の看板
何のために、どうして、と疑問を抱かせる人工構造物や表示はいつも目立ちます。無意味な標識、役に立たない道路標示などなど、不思議どころか邪魔になって困るもの、害にさえなるものも多いのが実情です。

今日、別の道を歩いて眼に飛び込んできたのは写真の看板、「菜の花畑」でした。その後ろは見ての通り、何もない田んぼです。休耕田ならわかりますが、いままでずっと稲を栽培してきた場所です。山の斜面に一応なりますから、上から傾斜がついています。いまさら、こんなことをして何になるのでしょうか。賢明さがないどころか、愚かです。中心部からも細い農道しかありません。誰に見せたいのでしょうか。

景観の保全や環境の保護のためにもできる限り、景観そのものを保持形成しているものは別にして、人工的な作為は避けるべきです。ましてや、有害な塗料や邪魔なだけの看板や標識(その上、誰も気にも掛けない役立たず)などはなくさなければなりません。もしそんな強制的な法令があるのなら、改めなければなりません。そのためにも、もっと、私たちは周囲や眼前を見直し、声をあげていかねばなりません。

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