対等な関係を築く2007年01月17日 21時05分40秒

ともすれば人は己を上に見て、対する者や周囲を見下したり低くみたりしがちです。そうすることで自分自身の存在を自身の中で確認し、主張をする自分を保とうとするかのようです。でも、どこか、それは基本的におかしいことは明らかで、他者に対する偏った優越意識を意図的に持ち続けることがその存立を確固たらしむるとするのはひずんだ精神の現れそのものです。

紀元前の昔より、哲学者たちの言を引き合いに出すまでもなく、汝自身を知ることは比較や衝突によって得られるところのゆがんだ自己ではありません。もし他人を知ろうとするならば、何より自分自身の内面に至る思考をすることです。まちがっても、不正な、卑劣な手段によって他者を傷つけあるいは抑えつけたり奪ったりして得る行為をもって機能や能力(とそうする人はそう言う)が対等になったと思いこんではなりません。そうするところにすでに最初から、関係において敗者であり、自身を貶めた下等な存在をみてしまっているのです。

大切なのは、そして、決定的に重要で欠くべからざる要請は、互いが互いをありのままで認め合い、互いの言を最後まで聞き、それをその人のことばとして認めることです。ましてや、誰かが誰かを一方的に、しかも集団で(2人以上が集団と定義されます)言いつけたり抑えつけたり排したりするなど、論外です。基本的な関係において、その上下優劣はその存在形態には依らないのです。

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