心ない行為=柿の木を切る2007年01月29日 21時35分43秒

残された真新しい柿の木の切り株
いつも通る道の脇に20年を超えて育っていた柿の木が、おそらく、昨日の昼間から今日にかけて、切られていました。秋には柿が実り、鳥たちには休息と羽繕いの場所を与え、後ろは田んぼの風景でよく目立つ大切な木でした。

似通った地域に住む人たちが、以前にも、よく実っていた大きな栗の木をいとも簡単に切り倒し、『明るくなった』といって喜んでいたのもおぞましかったのですが、それと同じく、どこか、血も涙もなく、平然と、冷たく命を奪った様子が見て取れるのでこれもまた、恐ろしさや寒気さえ、覚えたものです。

切り株の写真でおわかりのとおり、この木は生きていたのです。ほとんど毎日、すぐそば、下を通っていたので、吹きっさらしの野っ原に立ちながらも健康だったことはしっていました。ですから、切る理由がなかったはずと思うのです。特にじゃまにもならず、陰も稲の生育に影響を与えるほどでもなく、どう考えても、意味も理由も原因も見あたりません。切った人間の、心と感情・情緒の問題としか思えません。そういった行為にためらいもなく、まさに、突然、しかも冬に、及ぶなんて、なんて人でなしなのでしょうか。空恐ろしさ、寒々とした心象風景だけが想像されます。

信じられないフジテレビの姿勢2007年01月29日 21時48分48秒

昨日、日曜の夜7時の「平成教育学院」の冒頭、なぜか、突如、「助手」である高島彩アナウンサーが、「生徒」の一人、宇治原史規さんが言ったとかいう、『フジテレビがなんぼのもんじゃ』という発言(?)を紹介し、皆のはやし立てや非難を誘導するかのような言い方をしていました。彼女曰く、『私も許せない』(に類した言)でさらに呼応して個人攻撃をし向けていたのです。

そういった発言自体、とりたてて非難されるたぐいのものではありませんし、彼も吉本の芸人の一人であり、笑って受け入れられるものであったはずですが、彼女とフジテレビ(の番組制作者)はなぜか、「問題発言」としてテロップまで流して批判的にことさらに取り上げたのです。こういった女性自体、ちょっとおかしいのですし、ましてや、いくら芸人たちとの話とはいえ、そのやり方そのものにひどく疑問を感じますし、嫌悪感を覚えます。どこか、恣意的で悪意さえ感じさせます。

実際、きのうの記事で触れたように、ほかの人たちのブログなどでも、『あるある大事典』の捏造とフジテレビの姿勢や会長はじめとした人たちの態度と発言に疑問を感じさせられている中、問題を何とかしてそらそうとしているような、そんな意図をこの「平成教育学院」でも感じたわけです。うがちすぎだと言われればそうかもしれませんが、なぜ、彼女が冒頭でわざわざそんなことを言い出したのか、そのやり方は今のいじめのやり方と共通していて容認できかねるものであったこともその理由です。

およそ、「教育」の名の下でなされてはならない、その典型です。また、宇治原さんが言ったとかいうことばは充分、まじめに聞いても、うなづけるものです。嘘で固めた番組といい、無批判、無検証のまま放送してその謝罪をテレビで行わない、その態度や恣意的な姿勢、女性アナウンサー一人とってみてもわかるその横柄さ、そういったところを『なんぼのもんじゃ』といったのは言い得ていてそのとおりだと思いますし、番組の中で、本人を名指しして個人攻撃を行うなど、いくらこの手の番組でも、『許せない、聞き捨てならない』言動、行為です。ほんと、フジテレビって、「信じられない」。