増えてきたシジュウカラ--富田林と札幌の自殺に思う-2006年11月14日 20時57分17秒

電線にあがったシジュウカラ
秋の終わり、というより冬の入り口ともなると木々は枝だけになったりします。この時期から麓に降りてくる小鳥が増えてきます。きのう、きょうとめだったのはシジュウカラです。写真は残念ながら電線の上でしたが、カメラを取り出していたときには桜の枯れ枝にとまっていました。

平地のにぎわいは雪が降り出すまで続きます。雪が降ってもまた、どこからか飛んでくる渡り鳥たちやなんかでけっこう楽しくなります。そんな季節でもあるのはそんな休みどころやついばむものがあるからで、あまりいじらないで残してあげたいものです。

コンクリートの建物から身を投げた中学生、高校生の女の子たちに、そんな冬でも、寒い空でも、生きている小さな命をもっと身近で感じさせてあげられていたら、と思うのです。支えてあげられたはずの若い生命をなぜ救えなかったのか、なぜ気づいていて、わかっていてもっと心からいっしょになって気持ちを分かち合えなかったのか、聞いていたはずの人たちの情けなさ、人ごととしてしか、仕事としてしかみていなかったその冷たさを恨みたくなります。

どこか、人々の間の心の本当に通い合う、たとえば、誠実さだとか、嘘偽りのない無償の優しさだとか、何もなくともただ一緒にそばについていてあげる、そんな豊かさだとか、あなたのことを忘れたことはない、と歯の浮くようなことばを真剣な顔つきで言える、そんなまじめさだとか、純粋さだとか、そういったものがどんどん、ないがしろにされ、奪われているような、そんな殺伐とした光景がひろがっているような気がしてなりません。

本当に、北海道滝川市の少女以来の自殺はすべて、心さえあれば、防げた事件ばかりです。