五十歩百歩2011年10月25日 07時32分45秒

原子炉建屋
原子力発電所の事故発生における避難指示の範囲を半径10km以内から30km以内に広げるとした政府の対策案について、舞鶴市は年内での計画は時間的に不足とのことを言ってました。でも、誰もがわかるように、ひとたび原発事故が起これば、10kmも30kmも実質的には差も違いもありません。福島の例ではっきりとしています。単に、時間的・気候的・地形的な違いに過ぎないからです。どちらにしても脳天気な発想です。

広範な地域に直接的に放射能をもった物質が撒き散らされあるいは吹き飛び、さらに時間をかけて降ってくる、それだけではすまないことは福島の現状で火を見るよりも明らかなのにまだ継続的な運転と維持を考えている人たちはいったいどういう思考回路でものを言っているのでしょうか。島国では避難する場所など限られています。また、水源としても大きな役割を果たしている森林にいたっては除染など到底不能です。とにかく事故を起こさせないこと、そのためには即刻、前原発の停止と廃炉しかないわけです。この意味で、ノーベル物理学賞受賞者の益川教授が「研究」といったのはそれなりに意味をもちます。

どんな対策も訓練も無意味です。この国の将来を憂うならば、まず何が何でも原子力などから完全に撤退することです。範囲の問題でも、安全対策の問題でも、技術の問題でもありません。想定の大小でさえもないのです。起きたらそれで日本は消えるのです。そんな数字は無意味なのです。

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