評価に意味はあるか2011年10月17日 17時15分25秒

コサギ
様々な試験・人事・成果などで決まって行われる数値や段階・序列付けをした評価は実際的に意味を持つのでしょうか。代表的な評価として、相対評価と絶対評価があります。また、絶対評価も到達度評価とある基準を設けた場合の違いなどで分かれます。しかし、これらをたとえば、選別や篩い分けのために使うとなると本質的な問題を避けることができません。そもそも、対象の作業や行為の結果はそのときのその場のその状態での一側面に過ぎないからですし、その物差しは極めて恣意的であり、それによって誰かの能力や価値を測ることは不可能だからです。

にもかかわらず、しばしば、そして悲しいことに現代の社会に生きる人たちはその結果や過程さえもそういった一基準での単一の価値に基づく「物差し」、つまり「尺度」を盲目的に信頼しがちです。これは他方、そういった評価をされうる場合に被験者や被観察者を一面的に序列化したり差別したり区別したりします。これはされる人たちだけではなく、この社会にとってもまた、著しい不幸でもあるのです。

示された数値や段階の記号などに一喜一憂したり、ましてやそれによって人の価値や存在を決めつけたりするなど論外であることは多くの人たちは実感として分かるはずです。そう、「分かる」ことこそ、その人自身の「絶対的な価値」をその人自身によって表出し、理解し、現れていることに他なりません。必要なのはその人が自身の自立した精神を見失うことなく時間を創り続けることです。尺度は任意であり、絶対的なそれは存在しません。『汝自身を知れ』とはギリシャの格言ですが(一般にソクラテスのことばとされるが真偽は不明)その前段階の意味でもこういった評価は実質的な意味をなさないことは明白なのです。