豪雨禍に思う ― 2008年09月03日 21時12分32秒
この夏の終わり、集中豪雨がまたも日本列島を襲いました。近年の発生頻度やその規模、範囲の特異性は誰もが感じているとおりだと思えます。もっともな原因としておそらく地球の歴史上、最も急速な温暖化に帰するのは間違っていないのですが、さらにそれを引き起こし、直接的に、たとえばこの豪雨を引き起こし、被害を被害たらしめているのはなんでしょうか。
一般に、大雨が降れば後に洪水や氾濫を引き起こします。あるいは長雨や間断的であってもある期間内の積算雨量の値によってそれらが起こるのは必然です。そう、そういった原因があって結果として生じるわけです。その降り方が「尋常でない」と判断されたとき、その「異常さ」はどこに、何に起因するものなのでしょうか。
人工構造物や造作による豪雨対策や防止は自ずとその設計上の限度があります。そもそも、そのまた人工的な改変と構築こそがその原因となっていますから、その対策としての予防策や対処は出発点から次の原因と結果をもたらすであろう原因を孕んでいたからです。もっと、本質的で根本的な防災社会を築くべく、道路はもちろん、水の循環と滞留(対流ではない)、居住地域と機能的な社会構造物の配置などを考え直さねばなりません。今のままの(あるいは旧態依然とした)アスファルトやコンクリートの氾らんと継続的な造築持続はその最たる障害となってしまっていることを認識すべきです。雨が降っても変わらない、そんな環境を見据えた社会構造を考えなければなりません、それも今すぐに。
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