失われた心2011年10月12日 07時45分43秒

赤い月
きのう、プライバシーの不可欠なことに言及しましたが、それを保つのも社会の存立と維持に必然的な要素です。それは何より、社会的な人間としての私たちの存立に関わることだからです。単に、ごくごく私的なこと、家の中の生活、履歴などを赤の他人に知られるのがいやだ、とかいった単純なことではなく、これが人間の人間らしい生活と心の、精神の自由や健全性の基礎だからです。

他者を離れたところから録音や特定のできない方法で攻撃する、などという最も卑劣な手口はどこから生まれるのでしょうか。常に録音をしながら生活などできませんし、突然、あるいは通りすがりにそういったことばによる攻撃や蹂躙行為に走る人たちにどんな理由を見いだすでしょうか。他者の心理につけ込み忌まわしい行為や言動によってその人を貶めたり辱めたり、その人の生きる上での重要な、時として決定的な時間や精神的安定(安寧)を脅かしたり破壊したりする、そのことで取り返しのつかない躓きにいたるとき、その人が悪意に対して抱く恨みや怒りはどれほどでしょうか。

いうまでもなく、いわゆる「努力」だとか、「精進」だとか、「刻苦勉励」だとかはその大前提となる心の安寧なくしては始めることすら不可能です。なんとかして、とにかく訳のわからない(日本語ではないし意味不明な)ことばによる攻撃や妨害をうっちゃっても、そういった悪意でしかない心による障害が間欠的に続くとき、その命をかけたといっていい大切な行為は灰燼に帰してしまいます。何一つ、実を結ぶことなど見込める道理がないからです。寒々とした風景の広がる社会に明日を夢見る希望を持つことなどできません。

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