神様のお遣い ― 2013年09月03日 13時56分23秒
見ると、狐が一匹登りの階段の下の方につくねん、とお座りしていました。わたしに気づき、山の中に消えたのでした。ここには4つの社があり、その一つはお稲荷さん。昨日と打って変わった明るい日射しを浴びようとでていたのでしょう。ちょうど、まさに、神様の前で。どこか、お迎えに会ったようで、よい兆しなのかも、と思うのです。弁天様に続いて、ここでもお祈り。写真はとれませんでした。神様のお遣いですものね。
午後は1時を過ぎて、降雨となる、晴れのち雨。気象情報などあてにする方に間違いがあるのです。外れて、万歳。明日につながる雨になりますように、頭の痛さと重さを生み出した帽子なしの太陽に。台風一過 ― 2013年09月05日 18時26分55秒
まさに、これからどうなるのか、としかいえないような、わたしたち人間の活動に起因した気候変動をもはや私たち自身ではとめようもないほどに変動を大きく深くさせています。雨台風は温帯低気圧にまで勢力を落としていてもなお、その運ぶ水量は従来の比ではないのです。受け身の対策ではすでに限界が見えています。繕うことだけではその綻びは直らないでしょう。どのように原因を正しくとらえ、どこに手を打ち、その原因のいくつかでも解消させることができるか、まったなしの真剣勝負なのです。
なのに、未だ、愚かさに端を発した原発事故は容易には収まりません。放射能という、最もやっかいな悪魔を津波だけではない原因、とりわけ、ヒューマンエラー以外ではあり得ない過ちで飛び出させてしまったその責任を一企業の東京電力に押しつけず、とにかく今できる対策、いえ、とにかく、その原因たる全原発の即時停止と放射性廃棄物のくいとめを決断することです。これ以上、生み出さないことから始めなければなりません。愚かさに気づきながら繰り返すなど、言語道断です。朝になれども ― 2013年09月06日 21時39分12秒
わたしたちの付託はオリンピックでも原発でもありません。この壊れかけている社会に対し、どういったメッセージと施策でもって、たとえば、いま最も辛い生活を強いられている東北の人々に、とりわけ避難民に対して何を救い何をうちたて、何を作り直すのか、が問われています。どうでもいい、金食い虫で余計な労力でしかないオリンピックのために大切な税金や人員や時間やエネルギーを注ぎ込む余裕などあるはずありません。そんなお金があるなら、そんなことにつぎ込む余裕があるなら、たとえば、孤独死をしてしまうような仮設住宅の住民の希望をこそ叶えるために使うことなのです。
堪え難い思いの中、絶望的に亡くなっていった多くの人々、津波にさらわれた人々を想うとき、東京のおばかな人たちにどのような諭し方で再教育をすればいいのでしょうか。この人達はいったい、本当にこの日本や東北の人々のことを考えているのでしょうか。助け合い、支え合い、分かち合う、これは物だけではありません。本当の心をこそ、持ち合い、すべての面で日本の新生を図らないと滅びます。わたしたちが望み、求めるのは希望であり、新たな未来です。分かっているんですか、首相、都知事さん!変わらぬ時 ― 2013年09月07日 20時07分21秒
口先だけで、心から東北や日本の新生を願い目指しているのではない、とはっきり分かります。あまりに腹立たしい。オリンピックなど不要です。少なくとも、今は。未だ収束しないフクシマともう戻れない福島県の人々をおもうとき、こんな行動を国際的にも恥ずかしくもなくなぜしてしまうのか、首相として疑問符をつけざるを得ません。東京のひとたちも同罪です。
変わらない早朝の、灯台の緑の光をみるとき、常に守る日々の姿こそ、信頼といざというときの羅針盤として必要です。港湾だけでなく、沿岸地域を中心とした防災と日常的な整備のために税金と精力をつぎ込まなければなりません。私たちが、どこに生きているのか、再確認すべきです。暗澹たる朝―五輪2020東京 ― 2013年09月08日 20時41分52秒
いわく、「経済の活性化」、いわく、「日本を元気に」………どうかしてます。要は、金儲けの手段、見せかけの活性化、目をそらすため、などなど、本音と目的が透けて見えます。なにより、批判を浴びたように、東北のことを忘れたかのようなその喜びようや浮かれて騒ぐかれらの神経を疑います。福島は東京から「遠く」離れている、と繰り返す中に、反省も思いやりも支え合いも、「絆」もありません。東京やその周辺だけが得をするのであって、その他の地域、とりわけ、”そんなこと”のために多額の税金と資材と人員を盗られる東北の被災地にとって心から喜べることでは到底ないでしょう。メーンスタジアムだけでも、1300億円だとかいう、そのお金があればどれほどの整備と復興にまわせるでしょうか。
写真は各地に造られた国分寺のひとつです。支配の手段としても、またその地域・地方の中心としても、象徴的な寺院でした。その分配されたものは分配され伝達される大切な存在であったのかもしれません。古代の人々は一地域だけをみていたのではありません。また、馬鹿騒ぎとも無縁でしたでしょう。もっと、足下を見、地に足を付け、人々を見なければなりません。目をそらすための愚かしさに目を奪われてはなりません。福島の沖縄化 ― 2013年09月09日 18時39分38秒
沖縄振興と引き替えに、とは聞こえはいいのですが、沖縄はいまだ苦しみと迷惑を一身に背負っているのです。米兵の悪行の犠牲は後を絶ちませんし、墜落などもあったとしても、地元警察などは入れません。治外法権のまかり通る島にどのような幸福が訪れますか。経済的にも国内では最低の水準です。これはまた、原発事故で帰宅困難地域に指定され、だれも入れない地域の増えた福島県内と放射線を浴びあるいはその食糧・食餌から蓄積させた野生動物や植物、荒廃していく元居住地、どうしようも無い汚染水を無限にためられるはずもないのに安全宣言でごまかすという愚かな政府などに見捨てられたような地域住民をおもうといったい、何のためにそれほどまでにオリンピックで目をそらし、見かけの活性化を進めようとするのか、甚だしい疑念が湧いてきます。
厄介な物、断りにくいもの、そういったものに蓋をするかのように、何も心配ない、影響はない、安全だ、とうそぶくかれらに何ができるのでしょうか。日本の国内には2つの番外地があるかのようです。今からでも、開催を返上し、お金を困難を抱えた地域と人々のために使いましょう。そして、財政赤字を減らしましょう。孤独死、自殺、棄民、などなど、命さえ危ういところにどうしてあれだけ、東京の人たちはよろこべるのでしょうか。信じられない。絆は何の、誰のでしょうか。とっくに見捨てられた沖縄のごとく、福島もまた、同じことになりつつあるように思えます。夕暮れの風景 ― 2013年09月10日 19時18分45秒
三日月の南西の空、ふと見上げると東からの航空機でした。今頃、こんな土地には飛んでくるはずもない飛行機です。写真からも分かるように、国籍不明、灰色、わずかな灯火、低空、と(まあ、外国のではないのは分かりますけど)怪しげな飛行です。近いせいか、結構大きく見えたので自衛隊かどこかかも、とは想像しますが、果たしてどこの、どういった目的のかは不明です。
下の川をみれば、アオサギ3羽、コサギ1羽、縄張り争いでもしているかのようなやり合いのあとはなんにも残りません。行き交う自動車の傍には自転車(例外なく)の通りがあります。歩く人などほとんどいません。次第に薄暗くなる山々のシルエットを背景に降りてきた町には人声のない電灯の光の照明が静かにわたしを迎えていたのでした。重なりに善し悪し ― 2013年09月11日 21時23分35秒
光の重なる様を見つめるとき、生きている実感にさえ浸ることができます。良きもの、良きこと、良き兆し、そんな時間と空間の共有こそ、私たちの望む姿です。幾重にも、とは文学的です。そのことばで甘利経産相は福島の一号機の汚染水漏れを防ぐ、とのたまったのですが、その重なりで緩やかにしたとしても、漏れ自体を何らかの方法で止めなければおなじことです。いまからでも、別の工学的な手法によるフェイルセーフの機構を考案すべきです。文学的な実効に乏しい間に合わせではよろしくありません。
思えば2年半前、事故を、いえ、津波を防げなかった思慮のなさはそういった冷却水タンクの羅列にその重なりを見ます。始めから無理な立地と安易な建設・予想しなかったが故の海への対処などを顧みれば、そこに見えるのは幻でしかない原子力の利用です。廃棄物をのみ考えても重なる目を閉じた人々の愚かさだけに割に合わない愚行を始めてしまったつけを今払い続けなければならない、汚染水と同じ現実の中に私たちはいるのです。異常な暑さ ― 2013年09月12日 20時22分10秒
昼間はまだ夏です。じっとしていることも堪え難い暑さでした。待時間の間、汗に包まれていました。どうにかしてほしい。残暑といえばそうかもしれませんが、以前なら9月にはいれば日中でも25,6℃でしたでしょうしわたしの実感と記憶はそういっています。なのに、この暑さは。地球規模の温暖化に基本的に原因を帰することは誰しも分かることですが、そのメカニズムから原因に至る本質的な理由を知ればその温暖化の加速度を和らげることができそうに思うのです。
複雑さを言い訳にせず、何かの変異と推移に目をやれば見えてきそうな気がします。ミツバチの大量死が日本国内でも起こっている、とのクローズアップ現代での話からも、ある種の共通したところに起因する何かがあるように思えてなりません。台風18号に運ばれて ― 2013年09月13日 21時01分39秒
季節の変わり目であるこの9月にいまだその熱冷めやらず、推移するはずの大気の圧力差は変動を示すのではなく、持続的な反復を示している、といえます。たとえは乱暴ですが、たとえば、地震による津波の発生にも似た台風の近海での発達と移動にその証左をみるのです。必要なのは順序だてた発生と移動と衰退による消長の記述的な結果ではありません。
なぜ、起き、なぜ、近づき、なぜ覆うのか、なぜ持続的で反復的な高温大気の中に我々はいなければならないのか、気象の定型からは考えても本当の、真の原因はみえてはこないでしょう。人為的な原因という背景は誰しも何となく分かっているのです。だからこそ、その生起を知ることで解消と復帰に道筋をつけるのは不可能だとは思わないのです。SF的です、と言う前に、知る必要があります。









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