有るはずの自由2010年11月25日 23時11分06秒

夕暮れの小景
秋の夕暮れはまさに釣瓶落とし、午後4時前には日は傾き、夕暮れもすぐに訪れます。列車に乗り、西へ向かうとき、それは加速されていくようです。実際、日の入りまでの時間の経過に伴う日周運動(あるいは自転)とその間の西への移動(運動)とで相対運動を考えたとき、射している光の速度は一定なのです。自転速度に比べて遙かに遅い列車の速度は考慮にいれるほどではありません。でも私たちの実感は相対的な負の効果より速くなるのです。違うって?

私たちは本来的に自由です。でもそれを制限したり、抑制したり、はたまた剥奪したり、とおよそ同じ人間とは思えない所業や脅迫による生得的な権利の否定をして何も感じない者たちが支配者になっているのです。例えば、ビルマ(軍事政権による国名はミャンマー)でのアウン・サン・スー・チーさんです。ほんとうに信じられません。日本でもまた、そんな被害に遭っている人たちもいるのです。暗い声の闇の脅迫、愚かな人たちを使ったその実効行為に私たちは力を失います。でも決して、心まで、意思までなくしてはなりません。

必ず、どんな社会でも、どんな環境においてでも、誰一人として、無用の威迫や脅威、恐怖による支配は受けさせてはなりません。何一つ、恐れる者なく、文字通り自由に歩んでいく、それは社会の存立のもっとも基本的な礎です。誰一人として、他者の権利をどのような形であれ、暴力的に蹂躙したり否定したりしてはなりません。当たり前すぎるくらい当たり前ですが、この現代の日本でさえ、それが実現されていません。足下から見直し、一人一人が目覚めねばなりません。そして、取り戻すことです。