何の意味もなさない2010年11月10日 22時46分22秒

消防宣伝ヘリ
秋の火災予防運動実施中~とかを流しながら県の消防のヘリコプターが飛んでいました。だれもそんな拡声器の音や声など耳を傾けてはいません。それをこのヘリを飛ばしている人たち自身、よくわかっていたはずです。なのに、どうして高い燃料を使ってこんな無意味なことをするのでしょうか。街頭宣伝車とも共通します。誰もそんな音声をそばだてて聞いている人などいないはずです。

私たちは目的を持って集まって誰かが前に立ち話す、そのときには耳を賛否は別として傾けて聞くことになります。また、個人個人ならば、直接面と向かって話す場合のみ、そのことばはそれなりに意味を持ちます。必要条件は、互いにその存在を直に認識し、目の前に在ることです。そうでなければそもそもことばではありません。いうまでもなく、仮に聞こえたとしてもそれは物音と同じであり、理解されるのは何の音か、ということだけです。

昔から言います。見ることは信じること、ですから、相対すること、話をすること、そして互いに理解し合えることです。それ以外に意思の疎通も伝達も認知さえも生じません。人と人とが理解し合うためには、面と向かって共通したことばを使い話し合うことです。まず何よりも会うこと、ことばを交わすことです。そこからしか始まりはありえません。当たり前すぎるくらい当たり前のことです。また、それゆえに、選挙の連呼や道路上での一方的な街頭演説はやめるべきです。日時と場所を決めて定期的に演説や議論の場を設け、個別の伝達と訴えの機会を与えてその行為を監視すべきです。