悲劇やまず~桐生の少女自殺2010年11月09日 21時25分38秒

シロハラ
先日来報道も増えてきていますが、尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオ流出のあおりであまり注目されていないようです。これはこれで大変な事件であり、言うまでもなく、遺族と誰よりも亡くなった少女にとってまさに生死そのものでした。12歳でいじめを苦に自宅で自殺、どれほどの苦しみだったでしょうか。昨日になって初めて、学校の関係者が少女の自宅を訪れ謝罪したとか。ただ報道内容そのままの説明でいじめと自殺との「因果関係」を否定したということです。

北海道の小学生の女の子の教室での自殺事件、岐阜県瑞浪市での女子中学生の自殺事件などの顕著な事例にもかかわらず、身近な学校関係者も周囲の人たちも(子供も含めて)そして親さえも対応や予防・未然の解決に至らなかったのはまさに致命的でした。先年、あれほど多くのこどもの自殺が相次いで、侃々諤々の議論百出、政府も対策に乗り出していたのになお、その連鎖も発生も防ぐことはできていません。社会的な取り組みは各所で多くの心ある人たちを中心に行われながらも何も実効をあげていない現実を私たちは直視する必要があります。年間自殺者3万人超、連続10年の日本社会のもっとも深刻な側面です。

こどもがいじめられて死を選ばざるを得ない、そんな救いようのない社会を変えようとしないで子供を産めよ増やせよ、といっても無理でしょう。北海道の事例と同じパターンなのです。始めはいじめはなかった、次第に知られたことがらを中心に渋々認める、でも責任回避のためにあり得ない「因果関係」はない、との主張。経験のあるはずの教師が無策であったとしかいえない事実、この経験とは実際には役立たずの時間でしかなかったということです。29人をうまくまとめ上げても一人が死に追いやられたとしたらその教育は取り返しの付かない失敗です。一人を救うことができなければ誰も救うことなどできないのです。そして、そんな周囲のこどもたちを育て、加害行為の意味も結果も理解できない人々の為した社会は暗澹たる明日を如実に映し出しています。命の無言の叫びと訴えをも聞くことのできない、こんな社会に未来はあるでしょうか。