奏効しない教育2010年02月13日 18時20分43秒

陽をいっぱいに受けるサル
春の淡雪、のことばどおり、今朝から軽やかな雪が風もなく降りしきりましたが、まさにうっすらと白に変えただけで午後に入ってすぐに溶けてしまいました。相変わらずの寒さではあったのですが、午後の日射しは明るく、写真のようにサルも出てきて西からの陽をいっぱいに浴びてうっとりとしていたほどです。梅も咲き出していて、春はもう近いのか、と勘違いしてしまいそうです。

わたしたちの社会に本当の春がやってくるかどうかはずばり、教育にかかっています。イギリスの前首相、トニー・ブレア氏が、"education, education, education"(Blackpool, 1 October 1996) と優先順位を強調したように、人を創るのは社会を構築することであり、それはどのように教育するか、それがどう功を奏するかにかかってきます(奏効と奏功はにていますが異なります)。でもどうあっても効果の無い者たちもいます。知識や技能や考え方以前に為されなければならない有形無形の、しかし真の教育が欠けているとしか思えないわけです。

私たちはただ生きるのではなく、良く生きることを求めなければなりません。そして、そうすることはすなわち、自身を高めていくことです。そのためには基本的な教育、つまり学校教育でなされる知育・体育だけではない、もっと本質的な教育の価値をその社会の基盤として持たなければならないのです。そうでなければ教育を行う価値がありませんから。