川は呼んでいる:秋田の子供達を思う ― 2006年05月19日 19時33分14秒
正しくは、『河はよんでいる』(アメリカ民謡)ですが、きっと、川はすべてを知っているのです。米代川の風景をニュースで見たとき、こんな場所で9歳や7歳の子供が一人で遊ぶはずがない、と思ったのは私一人ではないと思うのです。どちらも、友だちと遊ぶ、といって出たのですから、警察の判断は始めから誤りであったのは明白で、これを沓掛国家公安委員長が間違っていなかった、などとのたまうのは自己弁護や身内擁護以外のなにものでもありません。最後の場所になにか、決定的な意味と証拠があるはずです。
この犯人の目的は、ただ、狙って殺害する、その一点にあるように感じます。女児、男児、同じ団地、これはそれを物語っています。痕跡を辿ることは捜索の状況から、すでに不能となっているかもしれませんし、現在から、過去へと遡及した推測が必要になってきます。一人一人の記憶と五感が物をいうときです。
ありのままの状況こそ、最初に捉えられてしかるべきだったでしょう。最初から、決めつけたような姿勢がすべての誤りであることはおよそ、すべてにかかってくることです。あらぬ先入観、思いこみ、切り捨て、そういった態度が人の心を歪ませ、むしばむのです。
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