故意の来し方2006年05月15日 21時00分50秒

少女を殺害したホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告の心はおそらく、自分の行為の末を見越してその自身の過ちを覆い隠さんがために進めてしまった実行行為の結果だったと思うのです。それを、彼のことばで言えば、悪魔が入ってきた、その結果だと表現したのです。平たく言えば、少女を拐かしてしまったこと(実際は、たぶん、寂しさからか一緒になったのか)に恐ろしくなり、何かをしなければならないことに思い至り、出た彼の屈強な手と腕がその意志を故意としたのでしょう。

説明をしばしば、人は求めます。言い訳、言い逃れ、口実、弁明、などなど、表現はいろいろですが、それらはすべて、故意の発生を否定せんがための逆行にあるのです。ちょうど、これまでうまく働いてきていて、取り立てて改変の必然性のない二次的環境構成物や自然とうまく調和してきた形成をある目的をもって壊し造り替えて後でこうした方がより高機能だとか維持管理に都合がよいのだとかいうのと似ています。そうして、よいようにまさに、繕うところにみそがあります。

悪魔が来たりて笛を吹く、のが許されるのなら、行為はすべて当然の成り行きにされて認容させられます。でもそれは許されません。ハーメルンの笛吹もそのまま捉えれば拐かしに他なりませんし、集団催眠による高額商品の押し売りもまた、そういった心理状態にもっていく故意の明白な現出に他なりません。