幸せの兆し2011年12月04日 18時14分00秒

朝の虹
今日は朝から湖にでかけました。あいにくの冬型、朝から冷たい雨が降ったりやんだりで不安定な天候の中、6名の参加者はその雨を避けながら観察小屋に陣取ったのでした。そして、しばらくすると虹が向こうに見えた、というところです。朝の虹は縁起がいい、と昔からいいます。実際、夕方まで私も機嫌のいい時間を過ごせました。人生も明るいその兆しです、きっと。

静けさ、少しの伸びやかさ、自由な歩み、そういった本来当たり前のことを奪おうとしてはなりません。豊かな人生とはそういった時間を愛する人たちとともに過ごすことに他なりません。日本国憲法に保証された基本的人権と自由こそその礎です。

何をも恐れず、怯まず、たゆまない不断の抗う精神こそ、私たちは一人一人が持たなければならないのです。そして、たとえば、かのSteve Jobsがいったように、社会を変えてゆかなければならないのです。

いのちの継承2011年12月13日 11時20分48秒

マガモ飛翔
湖に飛来する水鳥たち(カモ類は多い)を見ているといつもその命のつながりを感じます。どんなに寒くとも、雪の舞う凍り付くような気温でもやはり、その水面に浮かべています。でも、彼らは自由なのです。誰にも縛られず、抑圧されず、ただ自由に飛び交い、その営みを続けるのです。私たちはその姿になによりも、生きている実感を抱くのです。

それにひきかえ、この地域ではどうでしょうか。いのちを大切にする、そんな思いや祈りを平然と押しつぶすような言動、施策、振る舞い、そしてつながりを絶ってしまう仕組みや町、ひいては社会の壊れかけた存在。ひとりひとりの姿をその生きる姿を生き生きと見つめることができません。どこか、それぞれの存在の唯一無二の存在であることを認めようとさえしない風潮を感じるのです。年齢や職業に関わりなく、それぞれが出会い、命を育む環境こそ何よりも求められるのです。

わたしのこの体の中にもまだ、炎のように燃え上がる気持ちや思いがあります。そして、決してこのままではいられない、強い気持ちをもっています。必ず、残さねばなりません。誰にも奪われません。何も奪われません。

なぜ遅れたの2011年12月14日 09時10分08秒

10日の皆既月食
写真は10日深夜の皆既月食です。露出不足でもひとつ色合いに鮮やかさが見られませんが、まあ、本当の姿は推して知るべし、といったところでしょうか。実際には、ごらんになった方はおわかりとは思いますが、もう少し赤みがあって、橙に近かったかな、と。掲載の遅れはひとえに自由の抑圧です。すぐにできない、思ったときに記せない、そういった環境だからです。

どこか、NHKなどの世論調査結果に似ています。はっきりしないのです。決まって、とどのつまり、はい、といいえ、の割合が少なく、どちらともいえない、の大きな割合を知ることができます。いつもそうです。結局、どっちつかずになり、そのときどきの身勝手な、あるいは狡猾な選択の強要や陰険な企図により決められるのです。

でも、もちろん、私たちは叛旗を飜さなければなりません。単に、反抗するだけでなく。

貧しさを覆う2011年12月15日 10時24分02秒

葬列
悲しみを押し込めて、地元の住民たちは田畑をつぶし、さらには先祖の眠る墓地まで脇に追い立てて碑を建てました。そこに祈られたのは過去への鎮魂と謝罪のことばでした。そして、その上を高速道路がはしるのです。すぐそばの、山に続く永代の願いは神の奉られたこの地方の一大神社にこめられました。けれども、その怒りはいずれこの地に振り下ろされることでしょう。

実際に、写真でおわかりのように、貧しい土地と人々の弱さや情けなさ、そしてその心の愚かしさをお金で覆うかのようなコンクリートの橋脚の列が居並ぶのです。これで、この扇状地の景観は台無しです。その上の集落からはもう海は見えなくなるのです。組み込まれた道路網の恩恵は素通りです。アクセスの少しの不便さこそ、泊まりの観光の第一ステップだったはずなのに。

便利さ、容易さと引き替えにどれほどのものを失うのでしょうか。一目瞭然だと誰もがわかっていて、それでも誰も止めようとはしませんでした。誰も、大声で反対を叫ぶことどころか、こぞってその早期建設を表立って求め、その際のお金をいただいたのでした。インターチェンジを造ったところで、破壊は破壊でしかありません。生き物たちもまた、追いやられ、命は絶たれます。命も明日を奪うのは、なんでもない、人々の心なのです。

冬きたりなば2011年12月16日 10時41分06秒

見納めのイチョウ
もうすでに昨日から冷たい雨が北西の季節風とともに降り、外へは出られなくなっています。それでも見納めのイチョウはその黄色の葉を輝かせていました。今年はこれで枝のみのすがたとなります。現実に寂しさや冷たさ、悲しさや鬱屈した感情の支配する冬に入ってしまったのです。

それでも、それでも、今朝は遅れてはいたものの、歩きました。案の定、帰りは雨に降られ、靴は少しぬれてしまいました。1万歩にあと500歩でした。

明日への希望や願いこそ、いえ、それのみが今の生き甲斐となっています。必ず、春はきます。そう信じて歩みます。なぜなら、私自身には妨げるものなど、皆無ですから。

啓蒙と啓発2011年12月19日 20時20分50秒

人権バス
写真は路線バスの側面に描かれた人権啓発の標語です。夜でしたのでぼけていますが、読めると思います。こうやってバスの模様にでも書かなければならない現実を私たちは慄然とした思いで見つめたのです。実際、自由と民主主義、基本的人権の尊重と謳われた憲法を持ちながら、その実、酷い人権蹂躙や人間否定などをあからさまに知ることになる現代社会を見つめるにつけ、どうしていまだにそうなのか、と恨みたくなるのです。

とりわけ、絶対少数に対する侵害・否定・蹂躙行為の残酷さ、冷酷さを報道だけでなく、この小さな地域社会でもいまだに知るのです。本当に必要な教育は教科を中心とした知識・技能や応用の訓練ではなく、ひとりひとりの人間に対する、人間の存在の不可侵とその唯一の存在を知らしめることだと理解します。その現実の必要性の一面をまさにバスの側面に見ていたのです。なんという情けなさ、おぞましさでしょうか。

八ッ場ダムはやめるべし2011年12月23日 10時30分17秒

前原誠司元国土交通相
昨日の群馬県の八ッ場ダムの建設続行の決定と地元への前田国土交通相の報告にはあきれかえってしまいました。居並ぶ建設前提の関係者の前で頭を下げる様には、この人はいったい、どこを向き、誰のために大臣をやっているのか、と大きな疑問を感じさせたのです。とにかく、このダムは建設中止の前提のもとに民主党は政権交代を果たしたのですし、国民やとりわけ、今苦しんでいる東北の人たちに対する大きな裏切りであり、到底、受け入れられるものではありません。

首相官邸と民主党のホームページから意見としてメールを送りましたが、その効果はたぶんないでしょう。でも、国民のひとりとして、黙っているわけにはまいりません。もしそれが密かな端緒にでもなれば幸いです。多くの声で再度、中止を宣言されるように人々の反対の発言などが集まることを願っています。

前原誠司政調会長に直接、ひとりでもがんばって欲しい、とのメールを送りたかったのですが、議員のホームページにはアドレスもフォームもなく、政府内でおそらくひとりの彼にはどう応援したらいいのか、わかりませんが、とにかく、ここから、わたしは前原さんに中止を貫くよう、支持を表明したいと思います。建設を進める側の国土交通相の継続確認や検証など、全く論外です。手前勝手な主張などを根拠にするなど、あまりに愚かしく、悲しく思います。

強風、吹雪2011年12月26日 10時51分50秒

強風で折れた
昨日の朝は穏やかで、ウォーキングもなんとかできたのですが、その後ときたら、降るわ降るわでまさに、白魔でした。昼間に積もるのは危険なことで、実際、目に見えた積雪となり、雪除け(東京方言では雪かきと呼ぶそうですが)を随時行う始末でした。

そしてその後の強風と雷は今日まで続いています。ただ、降雪はなくなり、やっと峠を越えたかな、と感じさせられます。でもでも、寒さは相変わらずで、素手では歩けない。顔は覆うと不審者になってしまうので吹きっ晒し。冷たい、寒い、の連発です。

それで橋の上の水位観測箱は上部からぽっきりと折れて欄干にもたげていました。役場の人が直すか、撤去するかするまでそのままでしょう。今年の豪雨では役立たず、消防は対岸から直接水位を見ていました。やはり、その方が確かですからね。