いのちの継承 ― 2011年12月13日 11時20分48秒
湖に飛来する水鳥たち(カモ類は多い)を見ているといつもその命のつながりを感じます。どんなに寒くとも、雪の舞う凍り付くような気温でもやはり、その水面に浮かべています。でも、彼らは自由なのです。誰にも縛られず、抑圧されず、ただ自由に飛び交い、その営みを続けるのです。私たちはその姿になによりも、生きている実感を抱くのです。
それにひきかえ、この地域ではどうでしょうか。いのちを大切にする、そんな思いや祈りを平然と押しつぶすような言動、施策、振る舞い、そしてつながりを絶ってしまう仕組みや町、ひいては社会の壊れかけた存在。ひとりひとりの姿をその生きる姿を生き生きと見つめることができません。どこか、それぞれの存在の唯一無二の存在であることを認めようとさえしない風潮を感じるのです。年齢や職業に関わりなく、それぞれが出会い、命を育む環境こそ何よりも求められるのです。
わたしのこの体の中にもまだ、炎のように燃え上がる気持ちや思いがあります。そして、決してこのままではいられない、強い気持ちをもっています。必ず、残さねばなりません。誰にも奪われません。何も奪われません。コメント
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