再開の根拠不明2011年06月19日 22時00分27秒

テリハノイバラ
誤りに気づかない、いえ、見ざる聞かざる言わざるを無理やり通すかのような強弁に終始している印象です。海江田経済産業相と今日の菅総理大臣の発言には寒々とした背景が似合います。地元に理解を求める、その一点張りでちっとも福島の事故に対する反省も学んだ跡もみられません。あれほど、知事たちが原子力発電所の運転再開の根拠を示せ、といっているのにただ電力事業者のいわば場当たり的な強化と福島で不足した準備の設置にとどまる対策で事足れり、としています。

自民党はもちろん、民主党もまた、この国の舵取り能力は無いようです。いつもいつも同じ台詞の繰り返しでな~んにもわかってはいないのです。福島の人たちが取るものもとりあえずに避難しても帰郷の見込みは現在ありません。その痛みはもちろんのこと、現実に起こった事故を収めることすらほとんど不能になりつつあります。そんな現状を見聞きしてなぜなお原発の維持・推進を図るのか、理解不能です。知事たちが口をそろえていうのは当然の疑問です。浜岡ひとつでも、たとえ2~3年のうちに他と同様な、あるいは強固な対策を施したとしても、巨大地震と大津波はその想定を超えるのは目に見えています。

世論調査で82%以上の人たちが原発に懐疑的であり、エネルギー政策の転換を望んでいる、との結果がでています。とにもかくにも、いますぐに全原発の廃止としゃにむにでも代替エネルギーの開発や設置を急ぐことです。はじめは苦しくとも、持ち前の工夫と方策で新たな仕組みを創れるはずです。政治主導ならなおさら、明確な転換に舵を切りましょう。

暗示と顕示2011年06月20日 20時47分05秒

夕焼け
暗示の反意語は本来、明示なわけですが、その一歩進めたことばとして、顕示を使います。単に、明示するだけではことは進まない、その典型としての今国会の復興に関する法なのです。3ヶ月も経ってやっと「復興」に法的な基礎を与えた、というのです。遅いですよ。せめて、1ヶ月以内にできなかったのか、と。早急に進めるべき、との多くの声のあるときにあからさまにはっきりと大声で叫ぶほどに示すべきだったのです。さすればすべては後からついてきたはずです。とにかく、もたもた感は拭えません。

夕暮れの海岸線の上、紅色の夕焼けはなにやら暗示的です。どこか、終末感さえ漂うその光り方を見ているとこれからのこの国の行く末を案じられます。地盤沈下くらいではすまない、沈みゆく風景に似た社会の岐路に立つわたしたちにとり、このままの指導者層でいいのか、今一度考えてみることです。今頃復興法案などでとやかくいっている人たちのなおさらの政争と「足の引っ張り合い」(昨日のTBSのインタビューに答えていた女性のことば)を見るにつけ、どうなるのだろうか、と深刻に考え込んでしまいます。

リーダーの不在、意思決定の曖昧さ、後手後手の対策など、とてもいらいらします。政府や官僚抜きに復興と新生をリードする機関をすぐに作って独立させて進めていたらこんなに遅れたりばらばらになったりひどい状況のまま放置されたりしなかった、と思うのは私だけではないと思うのです。顕示するほどの強さや強引さ、そして明確な道筋を大きく示す行動こそ、今からでもなされなければどうにもなりません。本当に、心配でなりません。

約束2011年06月21日 14時22分52秒

ビワの実
今日、昼間の気温は31℃に迫り、今年初めての真夏日となりました。湿度は55%ですが蒸し暑さを感じさせます。7,8月はどうなるのか、猛暑を迎えるとなるととりわけ夜の対策が必要です。それで、その節電や節水に至る今回の政府の約束はやはりその対応する見返りを求めたくなります。ならばなにか、言うまでもなく、原子力発電の廃絶でしょう。連日報道される福島の現状を見るにつけ、とても政府の原発再開容認を受け入れるわけにはいきません。

国際公約として特に記憶すべきは、鳩山前首相の温暖化に関する約束、25%のCO削減、と菅首相の原発政策です。どちらも本気で取り組めば達成と実現は単に時間の問題とわかります。政治家たちに怒っている国民からすれば、世界に対して約束した公約をも守れない連中に命を預けるわけにはいかないからです。

およそ、口約束であれ、社会生活の基本はそれぞれの約束にあります。自ら行った約束は守ってこそ信頼を得られるのです。しかるに、特に公務員は約束を守りません。愚にもつかない言い訳だけでなく、まるでその意味をわかっていないから始末に負えません。私も裏切られてどれほど傷つき、どれほど怒りに震えたかわかりません。多くの人間からなるこの社会、意思としてだけでなく、人の生きる道として、約束こそ人と人とを結びつける礎であることを今一度、再認識してほしい、そんな思いを強くしています。

理由なき継続2011年06月22日 11時36分36秒

キジの雌の子ども
昨日、そして今朝もNHKのニュースで各県の知事たちがこぞって原発の稼働再開に反対の意思を表明していました。滋賀県の嘉田知事などは山を越えた若狭の人たちの心情を理解して合わせて述べたところに気持ちを同じくする心強さを感じさせます。実際、これが連帯した行動や発言となり、愚かな政府や官僚、産業界の無能さに対する叱責となれば、と期するところ大なのです。「安全を確認」できた、などと嘘もいいところであり、いくら「説明」を繰り返そうと、もはや信用できないのは明白なのですから。

翻って、ちまたの愚かさもまた、同じです。あきれるほど嘘を繰り返し、暴力団も顔負けの脅迫やあらゆる暴力の畳みかけに終始する、そんな者たちに明日はありません。誰も、だからこそ、暴力の言いなりにはならないのです。上から下まで、どうしてこの社会はこんな腐った連中に支配されるようになってしまったのでしょうか。すでにはっきりした現実を見据え、本当の支え合いと助け合い、そして苦しみも悲しみも分かち合い、手を取り合って立ち向かっていかなければなりません。ひるんでいる暇など、ありません。

大阪市の平松市長もいっていたように、代替エネルギーの早急な開発と普及に互いに知恵を出し合い、進まねばなりません。もう、一刻の猶予もないでしょう。福島の現状は恐るべしですし、一向に改善さえ見えません。暢気に政争にうつつを抜かしている場合ではありません。いい加減、目を覚ましなさい、政治家たち。

原発学校から卒業2011年06月23日 12時52分31秒

ツユクサの花
午前中に咲く花として、ツユクサは畦や庭先などで青く輝きます。でも午後になると途端にしわしわになったりしぼんだりして夏の暑さを一身に受けているかのように元気がなくなってしまいます。実際、昼過ぎですでに32℃、おまけに湿度が高くむせかえるようなじりじりとした暑さです。福島の原発での作業員の方々はどんな状況かと思えば思うほどに同情と情けなさとやりきれなさが募ります。そんな未熟な、いえ、過去の遺物といっていい原子力発電はもう、時代遅れだと断ずるべきです。

滋賀県の嘉田知事が「卒原発」ということばを使って原発からの脱退・撤退を意図した発言をしています。過渡的に隣接地域としての準備と構えをしていこうというのです。でもまさに現実的に考えれば、今すぐに原子力に頼った発電は止めて廃炉への道筋に沿った作業にかかるべきでしょう。よってたかって兆のお金をつぎ込んだ原発学校はもう廃校にして、新たな2次エネルギーへの転換へと進学しなければなりません。

産業の維持継続には安定的な電力が必要、とのあまりに近視眼的な視点からのうっとおしいことこの上もない原発の再開と維持にそれこそ無駄なお金をつぎ込むよりも、その莫大な資金をどうしていままで再生可能なエネルギー資源の開発と普及に使わなかったのか、と腹立たしささえ感じます。田舎者を札束でひっぱたくように強引に設置したやっかいものにこれからまたどれほどのお金と労力と犠牲を強いていくのか、気が遠くなります。社会的なエネルギー転換を無理矢理に進めるためにも、今すぐ、原発から卒業することです。

蛍ふたたび2011年06月24日 11時14分47秒

ゲンジボタル
先日の水路ではその後3日ほどホタルは見られませんでした。どこかに散ったのかと思っていましたら、先々日から数匹(4~6匹)光を放っているのを見つけることができました。草は刈られておらず、水流も豊かでほとんど最近人の手が入っていないのが生息(なのかどうかははっきりとはいえませんが)していた理由のひとつでしょうか。ともかく、初めて見つけてから昨日で7日ほど見られていることになります。

そして、きのうは写真の通り、うちの裏に久々に現れました。シモクレンの厚い葉にとまり、光を放っていたのです。大きめで、写真の桃色の上の黒の模様からゲンジボタルであることがわかります。時期的にもそうであるようで、各地に飛び散って探しているのでしょう。そばの昔小川ではないのは残念ですが、コンクリート水路ではさすがにいられないでしょうね。

とにもかくにも、ふたたび発生するようになってきたのは幸いです。決して環境の改善によるものではなく、部分的な生息環境の幸運な放置された保持による一時的な現象と考えています。かつてたくさん飛び交ってその夜の光の乱舞を楽しんだ時代とは全く異なり、破壊された環境は元には戻りません。違った形で新たに創造していく人々の意識の変革がここでも求められています。

夏の外来植物2011年06月26日 07時52分17秒

オオキンケイギク
いままでは特に気を留めていませんでしたが、写真の花はオオキンケイギクという、北アメリカ原産の繁殖力の強い外来植物だそうです。根こそぎ引き抜かないとどんどん増やしていくそうですが、道路周辺ではなく、こういった里の内部まで入り込んでいるのも脅威です。よく知られた例に、10月にやたらどぎつい黄色のセイタカアワダチソウがありますが、それに似たところがあるようです。

後者とは違って見た目はきれいですし、夏のコスモスかと思えるほどに風に揺れる姿は見栄えもいいためか、周りの住人も気にかけないようで、あちこちでみられます。でも、これもまた、セイタカアワダチソウと同じく、日本の在来種を抑圧して生えなくさせたり、生息環境を奪ったりするわけです。越前勝山では市の職員が先導して道路脇のこのオオキンケイギクを手作業で抜き取っているということです。我々もまた広がらないうちに根こそぎ駆除していかなければなりません。

現実とはまさにこのとおりで、迷惑で厄介なものほど旺盛に繁殖しほかのか弱いものたちを排除していき、その命を奪うのです。力を奮うもの、抑えつけるもの、そして破壊するだけの無用のやからを力を合わせて追いやりまた息の根を止めなければならないのです。これは私たちが生きる上での責務でさえあるのです。心ある人たちが伸び伸びと、自由にそして堂々と生きていく、そういう社会を今を契機に造っていかなければこの国は滅びてしまいます。

「ポピュリズム」を使う意味2011年06月27日 10時47分00秒

青蛙の子ども(幼カエル)
田んぼで盛んに啼いていたと思ったら、道ばたの小川と水路の上にたくさんの幼ガエルが飛び出ていました。まだ判別はやりにくいのですが、モリアオガエルやたぶんシュレーゲルアオガエルも混じっていて、ほかにヤマアカガエル、アマガエルなどがいました。一様に西の方の高い部分に向かっていて、草が垂れているからかその上に上にと動くのです。その違いにはあまり関係しないようで、決して、同じ方向だからといって間違った方向には進んでいません。

前原誠司元外務大臣は、菅首相の「脱原発」の方向性に対して、「ポピュリズム」ということばを使ってその動きに通せんぼをしようとしています。誰もが感じるように、これは主導的な企業やいまだこだわる国策の誤りに引き込もうとしている一連の愚かな政治家たちの言動と軌を一にしています。かつて、国土交通大臣として、八ッ場ダムの建設中止を明言しながら、後に腰砕けになった(別の大臣)民主党の典型的な態度と迎合するものです。

「大衆迎合主義」としばしば訳されるこの「ポピュリズム」ですが、これはイタリアの国民と同じく、現実を見据えて体感的に主張しつつある賢明さと命や生活を考えた上での判断なのです。決して、間違った方向に進もうというのではないのです。ひとたび事故が起これば取り返しのつかない大変な事態になる、それは地震だけでも存亡の危機に陥る日本列島に生きる身として、是が非でも避けなければならない危険性なのです。目先の利益誘導や上から目線の誘導にはもう乗りません。目を開いて現実を見ない前原氏に何を見るでしょうか。

空梅雨2011年06月28日 12時02分32秒

幼ガエル
今朝早くは降雨があり、少々濡れましたが、すぐにやんで蒸し暑さはあさからずっと続いています。道の脇は道路を渡ってきた幼いカエルたちでいっぱいで、注意しないと踏みつぶしてしまいそうになります。この山の突先ではほとんど写真のカエルで、きのう小川にいたシュレーゲルアオガエルたちとは異なり、もう少し成長しないと区別ができません。なぜ山から下りてきたのか、道路脇に集まったのはなぜか、生まれて変態したばかりでまだ方向性は定まっていないようです。

梅雨に入ったとも入らないともアナウンスされず、ただ蒸し暑いだけの6月で真ん中を流れる川の水はむしろ少なく、そのおかげか澄んでいます。しょぼしょぼとしたお湿り程度では欲求不満が募ります。まあ、九州の大雨と同じでは困りますから、それはそれで助かっているのかもしれませんがこの時期に降らないのもその後の夏を思うと...。

生き物たちはそれなりに生きているようですし、空梅雨とはいってもまだましな気候です。今日はすでに午前中で34℃となり、日射しもかなりあって、もうじき夏本番、と予想されます。それにしても、カエルたちは今の時期に大量発生、これは「ふつう」でしょうか。

今辞めずに走れ2011年06月29日 09時50分35秒

ムラサキシキブ
実の優美な紫色でよく知られたムラサキシキブは秋深まる頃に山に映えて目を惹きますが、夏の花の美しさもなかなかのものです。道に面した斜面に生えていました。この花を見てたおやかなその姿勢に意を強くするのはわたしだけではないと信じます。

同じく、辞めろ辞めろの大合唱にもめげずに粘る菅さんですが、ここはやけくそになってでも一時表明した「脱原発」をはっきりと言い直して再生可能エネルギーの推進と平行して原発からの脱却を打ち出すことです。亀井氏がいうように、リーダーシップにこの際力をいれて、この際「ペテン師」でもいいから「脱原発」の方向を決めたらいいのです。

復興も原発事故の収束も先は見えません。何も菅さんひとりの責任ではありません。むしろ、辞めろとかまびすしい一方で何もしないどころか、目の覚めない連中や暢気に野球観戦をしている幹事長などの方がよほど問われるべきなのです。どうせ誰も支持してくれないのなら、本来すべきこと、これからすべきことにタブーや遠慮なしに突っ走ればよろしいのです。