過去の犠牲報われず~JR石勝線脱線火災事故2011年05月29日 08時00分38秒

第1ニニウトンネル
一昨日夜に北海道の占冠村JR石勝線第1ニニウトンネルで起きた特急列車(ディーゼル車)脱線火災事故で思い起こされるのは1972年1月6日の北陸トンネル列車火災事故です(わたしはまだ子供でしたが)。 この悲惨な事故では旧国鉄の車掌をはじめとした乗務員の対処と避難誘導のあり方が厳しく問われました。現実に、13kmを超えるトンネル内での火災に際し、的確で迅速な判断と対処がなかったことが惨事につながりました。その教訓が、ほんとうに残念なことに、生かされなかったのです。

時折、敦賀駅からすぐの、北陸トンネル入り口に立っている慰霊碑を左側から見つめるのですが、その鎮魂はなぜ遠く、北海道には伝わらなかったのでしょうか。幸いというか、乗客の自らの適切な判断でけがや障害ですんだのは不幸中の幸いでしたが、あまりにJRの情けない、鈍感で臨機に応じた対応のなさが際立ちます。北陸トンネルで亡くなられた方々の魂は安らかではありません。およそ、これに限らず、たとえば、今回の震災の政府や原発の東電など、対応のまずさが目立ちます。どこか、決定的に何かが欠けています。

原因究明は第三者の調査によるのが一番です。でも、何より、事故時の対応をなぜ、急いで見直さないのでしょうか。なにより、人命第一です。航空各社もそうですし、遊園地でのジェットコースターなど、あまりにいいわけばかりがめだちます。そんなことを四の五の言う暇があったら、なぜ、厳格で即時の救護・避難・そして未然の防止に力をいれられないのでしょうか。ほんとうに、何かが決定的に緩んでいます。