もう始まった新緑2007年04月17日 21時30分43秒

新緑の山の装い
まだ4月ですが、新緑は始まっています。山々には若葉のみずみずしい黄緑色が増えてきています。目にまぶしいくらいに、これから太陽の光に照らされて輝くことでしょう。

まだ山々には冬の装いも残り、一方で赤い色もあります。色様々な淡い春の肌の美しさは今ならではです。今日は曇り空でも一つではあったのですが、色合いの見事さは、かつて、私自身、小学生の頃に描いた風景画の色彩に似ていて、水彩画がよく似合う、そんなきれいな風景を感じます。

こういう季節こそ、といつも思いますが、なかなか本当の春はきません。今日もまた、気温は10℃で肌寒く、午後には冷たい雨が時雨れ模様となり、春の風景をかき消してしまいました。心なしか、気持ちもまた、沈みがちです。心から喜べる、そんな時を迎えたいものです。

ベニマシコ再来2007年04月19日 21時26分25秒

北からやってきたベニマシコのオス
赤い鳥、かつてのフォークソングの担い手でしたが、そのままの、赤い鳥として知られるのは、アカマシコやベニマシコです。この地で、それも海岸近くの道で見られたのはもう8年ほど前だったでしょうか。今日写真を撮れたのはそのオスで、色は草色、目立たないのですが、周囲の(ありきたりの)ホオジロ類とは少し違っていたのですぐわかりました。

朝のこの時間は鳥たちの活動は活発です。移動と飛翔を繰り返して、明るい朝の到来を喜んでいるようです。変わらない朝の光景です。生き生きとしたその躍動的な時間は中にいるだけでもうれしいものです。でも少し、やはり、寂しいかもしれません。静けさとさえずりと羽音を聞きながらの散策は確かにそれなりに楽しいのです、が、誰かとまた、分かち合いたいとも思うのです。

オスがいればメスもいる、と通常、考えます。かれらもまた、小群で来たり、つがいでやってきたりの仲間ですから、単独の飛来とは考えにくいのです。それだけでは意味がないですから。繁殖こそ、目的ですし、そのための移動です。

南風の一日2007年04月20日 21時07分23秒

このところ、ず~っと北よりの風の吹く日々が続いていたので、今日の南風は意外でしたし、足腰の冷えない暖かさは久しぶりでした。歩くと、北風はどうしても体を冷やします。心まで冷え込んでしまいます。春とはいえ、北風の冷たさはやはり受け入れがたいものがあったのです。

暖かさは思ったほどでもありませんでしたが、20℃ほどになった気温は上からのぬくもりと暖かさを伝えたわけですから、それは下からの気温の上昇とは異なり、そのままの熱を運んでくれたわけです。それだからこそ、暖かさを感じさせられたのです。ちょうど、暖房を入れられたのとよく似ています。

春を運ぶというほどでもなく、でも窓が鳴るほどには吹いていた南風は何を伝え、運んでくれたのでしょうか。豊かな心で気持ちを伝える、そんな歌にもあるような風だとよかったのですが。

熱感のある土曜日2007年04月21日 21時56分04秒

きょうも南風で暖かい、というより、ぬくい(温い)一日で、夜になってもあまり気温はさがりません。上着はもちろん、重ね着さえ、必要ありませんでした。

どんどんと熱が伝わってきているようで、下支えの暖かさの上に温風が降り注ぐかのような、そんな感覚にとらわれます。ぽかぽか、というような呑気な陽気ではなく、熱がそのまま高まってくるような、そんな感じでしょうか。

夜の自動車の中は温室でした。窓を開けても生暖かく、じっと座っていると汗がにじみ出てきました。朝から晩まで、そんな熱を感じさせてくれた週末でした。

暑さを感じる日のヤマトシジミ2007年04月22日 21時17分17秒

閉じたヤマトシジミのメス
きょうもまた、昨日の続きで暑さを感じさせる一日でした。午前中はむっとするくらいのもわもわしたあたたかさで、シャツだけで過ごせたのです。気温自体は22℃ほどでしたが、相変わらず南風で、熱を運んできたようです。

そのせいなら、ふつうはチョウは飛び回るのですが、きょうのヤマトシジミ(のメス)はその熱や暑さを避けたのか、畑の陰に降りてじっとしていました。メスの裏の翅は色が金色がかっていて、それだけでもきれいです。表が黒っぽく、不釣り合いな印象を抱きますが、閉じてとまることが多いようで、きれいな面を見せるのは少しうれしくなります(何が?)。

オスはよく、翅を開いて留まりますが、この違いは何でしょうか。色はもちろん、水色のそれとは明らかに異なりますが、何かを防いだり、何かから身を守ったりする意味もなくはないのか、とも思います。この気温なら、体温を奪われるほどのことはないので、開いても不都合はないと思われるのですが、 力学的にはふらつくよりも閉じた方が安定でしょう。また、やたら開くのも安全面からも問題でしょう。暑さをかんがえたら、やはり、閉じるべきとも思います。

河原に上がったカルガモ2007年04月23日 21時32分36秒

陸に上がったカルガモ
水鳥として、よく知られているカルガモですが、春にもまた、多いのです。今の季節、田んぼは代掻きのあとで水を張っているのでよくやってきます。当然、周囲の水辺にもよく来ます。ことに、川には年中やってくるので、その点はうれしい限りです。

今朝も田んぼに幾羽も見かけましたし、そのうちに通りかかった川の中州というか、河原(石だらけ)に流れから上がって休んでいるのに出会いました。あまり見ることがない足の色や形、歩く姿など、これもまた、うれしい出会いです。でも、それだけですが。

きょうは朝は曇り空で、気温も低め、それで陸に上がっても何もないはずですが、これは習慣でしょうか、習い性でしょうか。羽繕いでもなく、体を乾かすわけでもない、それで上がってどこかを見つめている、そんな静かな時間もまた、鳥たちにはあるのでしょう。

フランス大統領選挙2007年04月24日 21時25分12秒

フランスの大統領選挙の第一回投票の結果でほぼ予想されたような割合になりましたが、もともとのフランス国民の意思や望みとは異なるようにも思えます。中道右派のバイル候補の得票も中身は割れていたようで、フランスのテレビやほかのテレビによるインタビューでも本来の主義主張とは違った投票行動を示した人がかなりいたようです。

大統領ということで、日本とは違って、元首を直接選挙で選べるのはそれなりに好ましいと感じています。ただ、日本では今回のフランス以上に、いえ、かなり異なった意味で、ほとんど人気やイメージのみで決められる可能性が高いと思えます。国民の政治意識とその支持する主張の確かさ、堅固さを鑑みると、日本ではなじまないというよりも本来の選挙の意味をなくしてしまうと考えられるからです。

多数候補による選択と充分な時間(日数)をかけた再考による再選別は意思と願いの反映を高い割合で可能にしていると現在みなされているのはその基盤となる一人一人の考えや視点の成熟があるのです。18歳以前からそういった意識と思考の醸成がなされる教育と社会はやはり、成熟した西欧のひとつの姿として、まだまだ私たちは目標とすべきなのです。

無くしてほしい交通安全協会2007年04月25日 21時00分17秒

なぜ、こんなものがあるのか、という典型として、各地にある交通安全協会が挙げられます。はっきり言って、こんなもの、あってもなくても何も変わりません。もちろん、あるだけ、お金を浪費し、人々を騙し、余計なおせっかいと邪魔になるだけです。彼らのおかげで交通事故は減ったでしょうか。人々の意識に変化があったでしょうか。すべて、否、です。

きょうも、免許の更新に行ってきましたが、証書と印紙代を払ってから隣の窓口に行くように言われ、いくと案の定、交通安全協会の勧誘と支払いの「お願い」でした。もちろん、私は断りました。大切なお金を無駄にはできません。そのほとんどが彼らの「人件費」と化すこともよく知られているからです。

堂々と、運転者教育センター(免許更新と運転免許試験のためだけ)の中に、警察といっしょになって入り込んで窓口まで代行しているなど、論外です。存在自体が無意味であること、その「経営」実態をあからさまにすること、そして今までぶんどったお金を国民に返還すること、これらをすぐさますべきです。

薄ら寒さを感じた日2007年04月26日 21時23分34秒

朝から曇り模様で、朝じたいは光もあり、明るかったのですが、北よりの風で一日中、暖かさよりも冷たさを感じさせられました。特に午後は冷えてきて、今にも降り出しそうな雲行きにさえなったのです。

どこか、春とはいっても、心から喜べない分、実際にもあたたかな春の日和とはいかないような気候を感じさせます。花冷えというより、寒さや冷たさの残る、冬の名残りのような風の冷たさを感じるのです。暖冬だった分、春はまだ本当の姿になっていないかのようです。

雲の多さ、空気の冷たさ、時として熱気を孕んだ風、どこか、不安定で移り気で、従来の気候の推移を如実に示し、あるいは順を追った段階的な変化を示す、そんな季節の移ろいは消えてしまったかのように感じられます。どこか、むちゃくちゃな変動を孕んだ、そんな気象を常としかねない状態に陥ったかのように感じます。杞憂でなければよいのですが。

朝のノジコ2007年04月27日 21時09分17秒

ちと写りがもひとつのノジコのオス
朝はいつも、以前にも記事にしましたように、鳥たちの活動が活発になる時間です。きょうも道路の脇から飛び出て、枯れ木にとまったのは、最初、このあたりに留鳥となって生息しているアオジかと思い違いをした、ノジコのオスでした。アオジはもっと頭部が黒っぽく、確かに黄色はよく目立つのですが、チッチッ、となく声でよくわかるのです。ノジコは目の周りの白い輪が特徴となり、その区別もできます。

と述べましたが、実は、このあたりで、しかも道路沿いの木でノジコを見るのは初めてです。こうやって出てくるところを見ると、そうめずらしく現れたのでもなさそうなのですが、目に触れるのは意外でしょう、ノジコにとっても。またひとつ、いえ、一種類、私の記録と記憶に加わることになったのです。

出会いあればこそ、それは人も生き物もおんなじです。会って初めて、その存在を確認し、ことばなり、気持ちなり、あるいは思いなりを通じ合えるのです。何かを伝えたい、分かち合いたい、手を携えて生きたい、そんな気持ちこそ、出会いから始まるのです。