岩科学校に見る明治2013年01月27日 17時33分08秒

三条実美の書
天候に恵まれたので南から西にまわってきました。海岸線はとても美しく、ここなら国立公園の名に恥じない、と実感できます。冬の風は冷たく、長居はできませんでしたが、南アルプスも見えていて、ある女性の先輩に言われて見に来た甲斐がありました。その最後に、標題の岩科学校を訪れました。1880年以来、133年です。<p>
三条実美の筆になる学校の名はこの地域の明治の人々の熱意と気概を如実に反映していると実感できます。篤志で800円余り(現在では8000万円を超える)、公費を合わせて初期の教育の振興とこどもたちに賭けた人々の思いを強く感じさせます。実科を合わせた教育を行っていたようです。農業を基盤とした内容だったようで、気候を生かした早期の繭の出荷など、漁業より内陸に秘かに賭けた安定を意図したこのあたりの必死の姿を垣間見るようです。</p>
翻って、今はどうでしょうか。どうしても、高等学校まではこの地方での教育を進めないと先にはいけません。当時の近代の気概をそのまま持て、というのは酷ですし、無理もあります。しかし、現在の日本の状況をみるにつけ、このままでは廃れます。教育の支えは何より、誰よりその地域を担う人々です。本当にこどもたちに期するなら、本当の厳しさ、本当の意気をもって社会の新興を図らねばなりません。その覚悟と気概をもういちど、この学校を訪れて見つめ直すことも必要です。

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