私を誰だと思ってるのよ2008年09月02日 21時11分37秒

オゼイトトンボ
無責任な福田首相のことではありません―そんな人に任せたのは自民党と公明党だけであり、大多数の国民は望んではいませんでした。2度もこんな辞め方をさせて、いったいこの国のリーダーたちは何を考えているのでしょうか。呆れた人たちです。

それはともかく、この言葉、言い回しを久々に聞いたのは、何気なく点けたBS-FUJIの「離婚弁護士II」でした。もう三ヶ月経ちましたが、6月3日、第9話、え!?不倫弁護士、の間宮貴子です。配役は綺麗な天海祐希。振り向きながらそう言ったところは素敵でした。

これは元はといえば、またフジテレビでしたが、1998年の地上波での「きらきらひかる」の月山紀子(松雪泰子)の決めぜりふで知られたところです。こっちは毎回でしたから、その格好良さは印象としていつまでも焼き付いているわけです。

そう、いつも思うわけです。いったい、私という人間をなんだと思ってるのか、どいつもこいつも、と心の中で怒ったのは一度や二度ではありませんでしたし、三度くらいでは済みませんでした。もし面と向かってあらぬ区別や差別、不当な「扱い」を受けたなら、はっきりと、大声で罵るように怒りたい、そういう心の底からの怒りを覚えます。

この社会、いえ、卑近な言い方をするならば、世の中、不平等、不公平、不均衡、不公正が多すぎます。そして、その中に生きる人たちの、悲しいことに多数派がこともあろうに、その擁護をするかのように発言したり尻馬に乗ったり、煽り立てたり、追従したりするのが良いかのような風潮を造り出しているのです。その犠牲になるのはいつも、腕力も声の大きさもない、体さえ小さな弱い人たちです。そうです、私もまた、そんな少数派、時として絶対少数に追いやられる一人なのです。

理不尽さ、不合理さ、非論理、道理や摂理にさえ反した、あるいはさらに悪いことに、そんな筋にさえ入らない、支離滅裂で無茶苦茶な暴言や脅迫を繰り返し、人のあたりまえの権利はおろか、人生さえも奪っていこうとするとんでもない輩がうようよしているのです。とても、ここは日本だ、民主主義社会だといえないのです。不幸にも、アフガニスタンで命を捧げるほどに尽くした伊藤和也さんの周囲でもあったという、荒唐無稽な脅迫や暴言などはその典型的な、そして最悪の一例です。

私たちはもう、ばかばかしい自民党政府や腹の立つ公務員を許してはいけないのです。もうこれ以上、社会の、人心の荒廃や歪みを拡大させるようなやり方を受忍できません。なにより、その最下部で支えているはずの私たち自身のごく自然にあるはずの道徳・倫理、いえ、当然の心の持ちようと人に対する姿勢や態度を、つまり、それぞれをあたりまえの人間として認め合う、そんな環境を再構築していかねばなりません。その上で、いつまでも待っていないで、行動でたとえば衆議院の解散・総選挙を求めることです。

私たちを誰だと思ってるのよ!

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豪雨禍に思う2008年09月03日 21時12分32秒

イタドリの花
この夏の終わり、集中豪雨がまたも日本列島を襲いました。近年の発生頻度やその規模、範囲の特異性は誰もが感じているとおりだと思えます。もっともな原因としておそらく地球の歴史上、最も急速な温暖化に帰するのは間違っていないのですが、さらにそれを引き起こし、直接的に、たとえばこの豪雨を引き起こし、被害を被害たらしめているのはなんでしょうか。

一般に、大雨が降れば後に洪水や氾濫を引き起こします。あるいは長雨や間断的であってもある期間内の積算雨量の値によってそれらが起こるのは必然です。そう、そういった原因があって結果として生じるわけです。その降り方が「尋常でない」と判断されたとき、その「異常さ」はどこに、何に起因するものなのでしょうか。

人工構造物や造作による豪雨対策や防止は自ずとその設計上の限度があります。そもそも、そのまた人工的な改変と構築こそがその原因となっていますから、その対策としての予防策や対処は出発点から次の原因と結果をもたらすであろう原因を孕んでいたからです。

もっと、本質的で根本的な防災社会を築くべく、道路はもちろん、水の循環と滞留(対流ではない)、居住地域と機能的な社会構造物の配置などを考え直さねばなりません。今のままの(あるいは旧態依然とした)アスファルトやコンクリートの氾らんと継続的な造築持続はその最たる障害となってしまっていることを認識すべきです。雨が降っても変わらない、そんな環境を見据えた社会構造を考えなければなりません、それも今すぐに。

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シャクガの(幼虫の)大量発生2008年09月04日 21時20分50秒

カラムシを食い荒らすエダシャクの幼虫
道ばたや田んぼの畦筋などによく見られ、かたまって群生しているイラクサ科のカラムシ(クサマオ)の葉という葉に大量にくっついていたのはエダシャクの一種の何かの幼虫でした。とにかくそこら中の葉が筋だけになっていて、無惨でぞっとする光景です。

小さいのから50mmになろうかというものまで、とにかくうじゃうじゃいたのでまあ、気色悪いのなんのって、それでも写真をとりましたが。この黒地にオレンジの尺取り虫は他にもどこかの街路樹だかの葉っぱを食い荒らしていて、テレビのニュースでもやっていましたが、なんとも気味が悪い上にまさに植物にとっては害虫です。

この手の大量発生は報道によれば、これも地球温暖化と関係があり、日本列島の暖地化の進行に因るのだとか、さもありなん、と今更ながらに頷いてしまいました。それに比べ、優美な蝶は数も種類も昨年と比べて減っているようにも思えます。ことさら暑くなったせいなのか、生育環境の悪化と破壊に因るものなのか、推測すら今はできません。

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生きている山の花2008年09月05日 21時05分25秒

ヌルデの花満開
カエルの手足が木に成ったかのようなヌルデですが、割に大きなその木の花は今満開でした。ふつうには白い三角状のクリスマスツリーの小さいのに見えてしまいますが、よく見るととても綺麗な花々の集合であることがわかります。見かけはまずくともその中身は美しい、の一例かもしれません。

今日の夜7時のNHKニュースでまた北朝鮮の身勝手な通告(新「政権」の出方を待つとか)で拉致被害者の家族会の人たちが怒っていましたが、その矛先ははっきりと日本政府に向いていました。約束したことは首相が誰であろうと、政権党がどこであろうと変わりませんし、受け身で相手の主張・言動と対応に対して応答するのみ、の姿勢はいただけないくらいではなく、情けないほどに弱々しく消極的でお粗末です。家族会の方のおっしゃるように、もっとこちらからアグレッシブに突きを繰り返す姿勢で臨むべきです。官房長官の会見での『残念だ』はないでしょう、ねえ、福田さん。

見かけも中身も貧しく見にくく支離滅裂な北朝鮮の連中に腰を引いたような態度では解決はおぼつきません。外交以前の問題です。まだどこかで苦しみながら生きているかもしれない拉致被害者を一刻も早く救出するためなら、どんどん攻めなければなりません。自民党も官僚も本当に被害者や家族の人たちの気持ちや心がわかっているのでしょうか。ばかばかしい総裁選挙などやっている場合ですか。北朝鮮に見くびられているのがわからないのですか。

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いったい誰のせいなのか2008年09月06日 21時46分46秒

西斜面のクルマバナ
山の麓の西側の日当たりの良い斜面の草地には幾種類もの草花がさいています。かわいらしいながら今目立つのはこのクルマバナです。しっかりと負けじと咲くのは健気です。私たちも生きるんです、って聞こえてきます。いえ、生まれたからには生きなければならないのです。

ロシア出身の二人の力士は大麻は知らない、とはっきり言っています。彼らは信じられそうです。今一度、サンプルの尿の採取方法、その後の取扱、間違いなく彼らのものかどうか、などについて見直す必要がありそうです。さらに、別のサンプルでの別の検査・分析機関での再検査も必要です。これからの生活にかかわるのですから。

汚染輸入米の転売も結局社長が認めたようです。でも本当に悪いのはこの三笠フーズでしょうか。そんなものの輸入をそもそも認めていいのか、とひどく疑問を感じます。ましてや、確かめも事後確認もせずに払い下げて今になって回収せよ、とやっている農林省もどうかしています。

自民党のあほくさい総裁選を連日トップニュース扱いで報道しているテレビもどうかしています。怒りしか感じさせなかった福田首相の辞任表明会見を放映しておきながら、その責任とそうさせて放任した自民党や公明党の連中に問う姿勢は皆無といっていい放送媒体のどこに信をおけるのでしょうか。

裏切らないのは、クルマバナのように地に足をつけて明らめて生きている姿です。前三者、誰にその責を帰すべきでしょうか。どの人でもない、とするならば、誰に求めるべきでしょうか。私たち自身が問われています。もっと、事実を抽出し、本当に考えるべき、疑うべきを知り、声を上げて行動に出ることです。こんな社会にしたのはいったい、誰なんでしょうか。

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見かけと見せかけ2008年09月07日 21時12分13秒

キイトトンボまだいます。
山の麓のため池の山側に久しぶりにキイトトンボを見つけました。例年、7月には多く発生して周囲に散らばっているのを見かけるのですが、もう9月ながら、まだ上ってくるのもいるのです。その真っ黄色の胴体(腹部)は本物です。見かけが見せかけではないのです。

相変わらず、NHKまでもが自民党総裁候補を追っかけています。そんなことをしてどうなるのでしょうか。確かに、自動的に首相に選ばれるのですが、彼らは誰であっても、見せかけです。選挙用の顔としてであり、責任を感じて、あるいは背負って総理大臣に(文字通り)「成る」のではありません。

米国の大統領候補のように徹底的に討論をし、経歴や履歴を調査され、言動や活動を吟味されるのとは根本的に違います。また、その座は決して国民全体の選択と判断に依るのではないのです。ましてや、多数党と雖も単なる一政党の代表に過ぎません。事実、見かけは「立派」でも実際には何をしてきたのか、言ってきたのか、知られたところだけでもとても認めたくはない人たちばかりです。

さも健全な政党であるかのように、正当な選挙であるかのように、はたまた、国民の声を聞いたかのようにうそぶき、のたまい、振る舞っているだけの見せかけの党の代表のいびつな投票による一方的な選択なのです。

もう、騙されない、煽られない、目くらましに遭わない、そう言い聞かせて来たるべき総選挙に全国民が臨んでほしいものです。

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本当の理由2008年09月08日 21時12分13秒

庇下に入った猫たち
猫たちが南の軒下に入ってしまったのは今日の秋風の北寄りの冷たさを避けるためでした。怪しげな私のカメラを睨んではいましたが、動じる様子もまったくなく、午睡からまだ覚めやらぬひと時です。

事実として、尿検査とその分析結果はそれ自体は間違いはなかったでしょうが、その採取・保存・取扱において、なお疑問は消えません。ロシア人だったからなのか、あまりにうまくはまりすぎています。若ノ鵬は自身、認めている上に、証拠としての実物と行為が認められたのですからこれはしかたありません。でも後のふたりはうそをついているとは思えません。簡易か精密かが問題なのではなく、本当に彼らの試料なのか、それらが服用したりした薬や何かに起因してはいなかったのか、そのあたりの説明も記事もありません。実際、彼らの大麻摂取の証拠それ自体はないのです。

北の湖理事長の追い落としのためか、大相撲の再出発を演じたいがためなのか、単にロシア人を嫌っているだけなのか、別の裏の理由があったのか、まだつかめません。どうも、釈然としないのです。

自民党の総裁選挙をどうしてテレビや何かで大々的に喧伝し、街頭に出てまで押し付けるのか、行うべき総選挙の結果を先に求めたがため、という多くの解説を知るにつけ、これも順序が違う、と思わざるをえません。壊れかけた自民党の延命と維持を本当に願っているのは誰でしょうか。そんな人が一人でもいてほしくありません。

昨日、夕方の朝日ニュースターで東大の石田英敬教授が(もどかしく)願っていたように、こんな首相の2度続けての恥ずべき失態や物価高、無茶苦茶な雇用、混乱する社会の現実に対処できない政府、横行する身勝手な企業の詐欺横暴などに怒りを絡めて暴動とまではいかなくとも集会やデモ行進などに打って出るくらいのこともしない人々をよく知るにつけ、本当に望んだのは何なのか、見えてくるようで寒々とした気分になります。

ほんとうのところ、私たちの意思や思考の発現に期するのは私たちではなかったのです。結局、牙も刃もない人々の宿るべきはどれも理由を知らしめるところに至っていないのです。情けない以上に私たち自身で崩壊に至る社会を造ってしまうことになることを自覚すべきです。早く、目覚めよ、と。

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み~んな、裏切り者2008年09月09日 21時23分23秒

畑のハッカの花
今日のニュースでも汚染米をつかまされた酒造会社がいみじくものたまっていたように、30 数年来の関係でも、結局、欺されていた、という真実を知らしめられたのは当初よりの裏切りの結果だった とうことでした。米の販売者、彼らに払い下げた農林水産省、そしてそれを確かめもせずに使った酒造会社 もまた、消費者、つまり一般庶民を裏切ったのです。

昨日まで私は大相撲のロシア人力士二人を信じていましたが、今朝のニュースではどうも米国巡業で買って 吸ったとかいう話です。もし本当なら、何らかの間違いや手違いではなかったことになります。私もまた、 二人に欺されたことになります。

ポッカレモンで知られたポッカコーポレーションもカビ毒入りを隠して嘘の表示をしたまま、悪質なことに、 入っておりません、などとして販売していたのです。

福田首相の裏切りは前任者の愚かさ未熟さを踏襲したところに求めることができます。消費者保護を打ち 出しておいてもその大本から足を自らすくうような行為をしてしまった彼に期待した支持者たちはどんな 思いを抱いたのでしょうか。ここ数年、あまりに目立つ企業の虚偽欺瞞は首相自身によって決定的な結末を 迎えようとしているかのようです。

翻って、私自身にとっても、周囲の人たちの「裏切り」には堪え難い思いをさせられ続けています。個人の 歴史、私的な生活や人生において、酷い思いや障害を負わされた人たちには恨み辛みが沸き起こるところ です。NHKの連続テレビ小説「ファイト」で黒板に書かれた、『みんな、裏切り者』に思い至る方々が何人 いらっしゃるかはわかりませんが、そんな嘘や欺し、寝返りや後足で砂をかけるような行為言動に出るもの たちを知るにつけ、そんな社会にしていったのは誰なのか、いつからなのか、はたまたどうして日本社会は そんなある意味、甘ったれた社会であったのか、と嘆かざるを得ません。

本当の厳しさ、本当の強さを知らない、わからない人たちが増えているのです。いえ昔からそうだったの かもしれません。ただ、これからでも、山岸俊男教授の著書、『日本の「安心」はなぜ消えたのか』にある ように―ただこれは単純化・モデル化されているのでそのままではどうかとはおもうところ―、信頼に基礎を おく関係を築けるような社会を形成し仕組みを作り直さねばならないと思うわけです。

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また小学生の自殺2008年09月10日 21時07分15秒

からみついたカエデドコロのおいしそうな花
神戸で11歳の女の子が飛び降り自殺をしたというニュースは茶番劇の自民党総裁選よりも優先度は高かったはずです。でもNHKはそうではありませんでした。どうかしています。病んだ、壊れかけているこの日本社会の病理そのままに体現されたといえます。

将来ある子供がどうして、自ら命を絶たねばならなかったのか、麻生氏はじめ5人には想像もつかないはずです。彼らはその対極にあり、女の子を死に追いやった原因の一部を造り出しあるいは構成においてその責任を負っていたのです。理不尽さ、いわゆる不条理などという理解してはいけない理由があたりまえのように横行する社会のひずみやねじれを直すどころか、なおさら強固にしてしまったのはほかならぬ自民党政治であり、少なくとも6割はそうだといえるのです。

死を選ばざるを得なかった、そんな選択肢しか残されていなかった、そんな環境にある子供たちは少なくない、そんなことを誰が言ったかは別としても現実を見聞きし事実を目の当たりにするにつけ、なぜこんなゆがんだ心を意のままにさせて放任して平気な世の中にしてしまったのか、堪え難い思いにとらわれます。

もっと、希望に満ち、夢を追い、望みをかけて歩んでゆける、そんな理想に溢れた社会を創るべく、いえ、実際に築いてゆくひとりひとりの強い思いや営為をこそ、私たちは求めなければなりません。嘘っぱちの政治家の軽い、それでいて人々を傷つけ苦しめる、乱れたことばから逆説的に、学び、変革をしていくことです。これ以上、子供たちを追いやらぬために。

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荒れ地の花2008年09月11日 21時39分15秒

ワルナスビの花
かつてのような、あからさまな、直接的な破壊行為はどちらかといえば身を顰めて、どこか陰湿な、陰の卑しさの横行を見聞きすることの方が多いような気がします。そのもっとも悲しい結果は弱い者たちの自死であり、弱い者いじめなのは今更いうまでもありません。それを引き起こしているのは荒れた心というよりは、現在の歪みやゆがみそのもののような醜さ、愚かさ、幼さの醸し出すところでもあり、標的がどの場合でも絶対少数に収斂していくかのような展開・様相を呈することがその特徴でもあるわけです。

あまり人の通らない、それでも時折草刈りはしていた頃はよかったのですが、近頃ではそれもしなくなった道ではその荒れように従い、その環境に適応した草木が生えてくるのを観察できるのです。その一例が写真のワルナスビで、これはもう、そのさわると痛くチクチクするような葉や茎は悪い典型です。何とも言い難いそのいかにもといった刺々しさは嫌な者の代表であるかのようです。花だけはまさに、茄子の花と似ていて、やな感じです。

手入れを手間暇かけて、あるいは時折でもいいのでやってあげるとそれなりの姿形を成し、割に快適な道や野原や山林を保つことができるのです。人もまた、同じことでしょう。いえ、もっと、自然の回復自浄作用のない分、知恵や思考や躾け矯正も要するのかもしれません。時として、大きな変革や転換も必要となるはずです。そう、今こそ、その時と私たちは知るべきです。

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