梅雨違いな降雨 ― 2007年06月24日 21時00分06秒
降れば土砂降り、晴れれば夏よ、という極端な状況を目の当たりにするにつけ、ここ数年強まった気候の激変傾向は簡単には止められないように思えます。そう、私たちの対策や対処によってのわずかな変更ももはや狂いだした地球の気候のある方向への傾斜は変わってはいかない、ということです。
熱容量の大きな海に囲まれた我が国の列島、諸島はその大変動の影響をもろに受けつつあり、さらに大陸、とりわけ中国の人工的な改変と汚染と変動の影響をもまた直接的に受けてきているのです。どの人も、この今をもっと見つめ、おかしな安堵感や「保守的な」発展信仰を捨てて、真剣に、しかもいますぐこれから考えていかなければ本当に取り返しのつかない、まさに日本沈没に近づくとさえいえなくもない状況が迫ってくるかもしれないのです。6月のクマノミズキの花 ― 2007年06月25日 21時05分32秒

いつも、遠くから見たり、高い場所にあるそれを下から眺めたりするばかりでしたが、今日はすぐ近くから花を撮ってみました。丸い実さえもうあるような、切れた網のような花の付き方をしています。写真は少しぼけていますが、まだ朝早いのと曇り空で暗かったからです。
白い花は確かに目立つのですが、好みとしてはもっと色のある、濃い味わいが望みです。もう落ちてしまったウツボグサの青紫やまだ咲いているツツジの明るい赤をうれしく思う方です。でも、濃い緑の中、広がる花の美しさはもちろん、好きです。生物の異変を知る ― 2007年06月26日 21時11分35秒
もう一つのテーマとしての、再生の課題はまさに私の町の湖でもいますぐに計画し、先例に習い、実践すべきところです。湖岸再生は諏訪湖の実例がテレビで何度も放送されていますし、きょうの霞ヶ浦の例も出版物などでよく知られた成功の一つです。ただ問題は今の湖で先例が格好の師となるのかどうか、ですし、何より、本当にそれらを理解し、実践できる人がどれほどこの町にいるのか、という問題をも、現実の周囲や伝えられる活動を知るほど心配になるところなのです。
佐々木洋氏はどう異変を知るか、ということだけを述べていましたが、私たちがまずすべきは、とにかく、関心をもつこと、広げること、持ち続けることです。そのための子供たちに対する教育はもちろん、くだらないゲートボールやどーでもいい野球とかにうつつを抜かしているおとなたちを啓蒙することが必要になります。彼らはそれどころか、壊すことを屁とも思わぬ行動・言動をするのですから、質が悪いのです。もっと、現実の変化や喪失を直に知ることが増えれば、きっといくら愚かな者達でも、その恐ろしさに気づいていくと思うのですが、性善説に偏りすぎでしょうか。私たち自身のあしたを考え、知ることに他ならないことをどうやって知らしめたらよいのでしょうか。早朝のテンと蛾と ― 2007年06月27日 21時18分44秒

何かの実を食べたようで、これはいつものテンの糞です。その上の生い茂ったクズの葉の上には、白いきれいな蛾であるシロヒトリがへばりついていました。お日様が当たればいずれ逃げたでしょうが、まだ暗い時でもあり、そこにいることがその存在の証明だったのでしょうか。アメリカシロヒトリは害となることで有名ですが、このシロヒトリはそれより少なく、食害も小さいのでしょうか。
昨日のクローズアップ現代では赤とんぼの減少を話題にしていましたが、まだ6月なのに、もう、この地ではウスバキトンボが飛んでいます。薄橙色の、ホバリングを得意とするこのトンボはまだ大群とはなっていませんが、早くも現れた、という点でこれもまた、異変の一つの証左ともなるでしょうか。乳牛の朝 ― 2007年06月28日 21時19分37秒

狭い、囲われた牛舎のくさい場所よりはこの方が健康的で体にはもちろん、お乳の出具合もよくなるのでしょう。すべてではありませんでしたが、合計4頭、どこかほっとするような雰囲気がでています。彼らにとって、好ましいことは間違いありません。
自由で開けた空間、所々にとまる場所、休む場所、寄りかかる何か、そんな拠り所と解放された開放空間の存在、それは牛たちに留まりません。おそらく、すべての人間達にも必要です。抑圧・束縛の無い自由はしかし、闘わなければ得られない、そういう社会もあり、そういう環境もあるのです。そのときこそ、連帯して当たるべきです。わからない街灯 ― 2007年06月29日 21時35分15秒

この街灯、変なのは、写真にもあるとおり、上ではなく、下に囲いのようなものがあることです。意味不明なのはいうまでもなく、なんの役に立つのか、まったくわけがわかりません。その証拠に、その右の同じ道にある同じ街灯が笠ならぬ受け皿がありません。これは所々にあり、いくつか連続しています。それゆえに、どうして変な金属板が付けてあるのか、不思議以上に、無駄と邪魔な感じがします。
このあたり、冬になれば雪も降り、そんなものがあっては邪魔以外の何物でもなく、反射はせず(黄茶色)、下から見ると半分隠すのでなお邪魔です。一方でないものもあり、これはいかにも自然です。あっては、落ちてきたときに危険ですし、吹き飛ばされでもしたら、当たってけがをするでしょう。まったく、わけがわかりません。「有害鳥獣」をどうするのか ― 2007年06月30日 21時03分25秒

人間にとっての「有害」な獣であるイノシシ、シカ、サルはかかったらどうされるのでしょうか。以前、このブログの記事にしたとおり、かかったシカは子供だったせいか、無罪放免となっていますが、成獣だったらイノシシとシカは間違いなく、喰われる運命にあるのです。サルはさすがに、喰えないのですが、その知恵と賢さは前者たちを遙かに凌ぎます。でも、かかれば間違いなく、どこかに売られるのでしょう。医学実験に使われるのも多いらしいのですが、本当のところはわからない以上に、「有害」となった、あるいはみなされるように増えて食害を及ぼすようになった原因をこそ、私たちはもっと探らねばなりません。
このあたりにはほかにクマもいますし、テンもイタチもいます。クマはぎは東の山の山頂付近で見たことがありますがその「被害」はごく軽微で何本も枯らしてしまうほどではありませんでした。が、ここ最近、人里に現れることも増えています。クマは食害以上の脅威ともなる以上、捕獲=>処分以上の対策を考えなければなりません。広く深く見にくい山域を調査するのも大変です。何かもっと効果的で確実な把握の方法と棲み分けを見いださねばなりません。
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