早稲田と中稲か、稔り始め2006年08月01日 21時09分17秒

稲の結実と花
同じ場所の異なる田圃で違う稲を植えています。大多数とおぼしきはコシヒカリですが、早稲として植えられている穂が稔り始めています。そして、少し遅れて花をつけ始めているのもあります(写真右)。

今月の下旬には稲刈りを始めるところも出始めるのですから、まだ青いとはいえ、実をつけているのは不思議ではありませんが、かなりの数は穂は出ていなくて青々としたさざ波を送っているのみ、でやはり急速に結実が進みそうです。

同じ環境でこういった違いを同時に育成する、これは人間とて同じこととおもうのです。人それぞれ、違いをもちながら成長していくのは当然といってもなお、同じように振る舞い、行動し、考えよとまで言い切る輩もいるこの社会、それを支配的にしてはいけません。身勝手な企業社会が社会を滅ぼします。

久しぶりのウチワヤンマ2006年08月02日 21時05分59秒

ウチワヤンマ
尾部近くの下部に飛び出た半楕円形の団扇のような突き出し、この形は特徴的な部分で識別に迷わないトンボです。よく田んぼの中や畦などの杭とか張り棒などに長い間とまっています。今日のは割にずんぐりむっくりの太短い個体でした。

春から、特に夏に時折見かけます。桜の木の近くに止まっていたこともありました。このところオオシオカラトンボやシオカラトンボばかりでしたが、久々に違う種がお目見えです。溜め池にはとまらない種、ギンヤンマやコシアキトンボが行ったり来たりしていました。

トンボの上昇飛行は見事ですが、その浮き上がり方は大型のトンボほど著しくきれいです。軽さ故、と片付けるよりも、そのぐいっと上げる力強さを見て欲しいものです。わたしもこういった飛翔をしてみたい。

ミヤマフキバッタの交尾2006年08月03日 20時43分25秒

交尾するミヤマフキバッタ
山の端、溝川沿いの田んぼの張り棒につかまっていました。羽根が短い特徴のバッタです。上に乗っているのが雄、下のが雌で、この大きさの違いはバッタに共通しているようです。

垂直に上っていくようにして何を考えているのか、わかりませんが、この時期、イナゴやなんかが多いのでちょっと珍しい存在ではありました。飛ばないが跳ぶ、というバッタですからつかまるところが必要なのですね。

今年の夏は特にこのバッタ類が多いようです。食害はとりたてては目立ちませんが、山にも里にも飛び跳ねています。数日前のフランス2でもイナゴ類の大繁殖がウマゴヤシを茎だけにしている、との報告をしていました。大発生にならないだけましですが、ちょっと条件が整えば農作物に被害がでるのは間違いありません。

もぐり加減のツチイナゴ2006年08月04日 21時33分04秒

ツチイナゴ
暑さと熱気と日照りは彼らにもまた好ましくはないようです。この土色のツチイナゴは草場で隠れていて、追い出したら落ち葉の道をさっさと飛び越えてまた反対側の草の中に潜り込みました。

山の草地や周辺にはこのツチイナゴが多く、田んぼの周りは間違いなくイナゴ類の青色、コバネイナゴなどが多いのです。棲み分けでしかない、とは言えず、その環境の善し悪しというか適性が決めているようです。

大発生とか大繁殖とかではないにしても、今年はバッタ類の多さが目立ちます。空梅雨気味の後は多めの雨、そしてかんかん照り。その前も降雨が少なく、乾燥気味であったことも災いしています。フランスなどとは異なりますが、稲の生育もこの理由からも良くないようで、ますます心配になります。

オニヤンマの縄張り2006年08月05日 21時39分12秒

90mmを超えるオニヤンマ
山の端から少し奥に入って上ったところに川があり、そのさらに奥にも小川があるのですが、このあたりがオニヤンマの生息地になっているようなのです。今日はここに入ったら2匹の彼らが縄張り争いをしていました。

山に入った場所の水流下は格好の住処らしく、どうもここいらで発生したりしているようです。ここに来ると必ず見られる、というのも最近では珍しく、好都合な環境はまさに彼らにとって不可欠な縄張りと化すのです。

この奥にはお墓があり、そのため周辺や道はもちろん、刈り込みされていたりもしますが、小川や川の辺りは草が茂り、彼らにとっての世代交代は継続的に行われるにふさわしく整えられている、と考えられます。私のようなものにとっても、入りやすく観察しやすい、という点で好ましいのです。

朝の子猫たち2006年08月06日 19時46分08秒

朝の日向の子猫たち
朝の散策の往路に野良猫たちがたむろして(というより住み着いて)いる場所があり、ここは東向きのせいか、よく集まるのです。子供を 6 匹ほど生んだせいか、なおさらよく日向に寄り集まってかたまっています。この暑さでも まだ乳飲み子で、母猫に一斉に吸い付く姿も見かけます。

今朝は気温も割に下がり、22℃くらいで涼しさも感じました。それでというわけでは無いはずですが、元気な子猫たちが日向に日陰に飛び歩いているところでした。ちょっと落ち着いた姿を撮りました。まだかなり小さいのであまり出歩くことはないようです。

広島原爆忌、平和祈念の日ですが、こういった姿を道すがら見つけられるのもまさに平和のおかげです。秋葉市長の宣言どおり、核廃絶を願わずにはいられません。子供たちのことば通り、命はそれぞれに必要とされているのですから。

ヌスビトハギの開き初め2006年08月07日 21時06分50秒

ヌスビトハギの花
林の縁に咲いていました。どのヌスビトハギかは確かなことは言えませんが、茎をそのまま伸ばしているところ、ヌスビトハギの姿です。花をよく見ると かわいらしくきれいです。明日、立秋ですから、萩の盛りとなる時期です。

とはいっても、夏真っ盛り、そのうえ、台風7号の接近で昨日の涼しさは今日は望めず、かといって風も期待できずで3すくみです。

かつて山道を歩く傍ら、迫る崖やせり出した岩の近く、萩の花が揺れていた 午後の光を思い起こします。そんな心の中の風景もまた、秋来ぬと知ったはずの季節の変わりを見ていたのかも知れません。

田中康夫長野県知事なお支持すべし2006年08月08日 21時26分34秒

開票結果は票数で7万8千票ほどありましたが、割合を見ると、村井氏53.4%、田中氏46.6%でそれほどの開きはありません。というより、ほぼ半々で割れていて、県民の意思としてははっきりと村井氏を選択したわけではなかった、といえます。

なのに、新聞もテレビもまるで完全に「敗北」して変わったかのような言い方をしています。これはおかしい。独善的だった、とか、パフォーマンスが過ぎた、とか言っていますが、やはり今までの行いを改め、望むべき方向を示して進んだ点で高く評価すべきですし、村井氏はこれを間違いなく、後退させ退歩させることになるでしょう。脱ダム宣言に代表されるのは財政的な見直しに基づく自治体再建の試みだったわけですし、国内の注目度は随一だったことは疑いありません。今年の水害は田中氏の施策が悪かったから起こったのではなく、自然災害であり、近年の豪雨災害はダムの有無とは無関係です。

進歩・発展とは過去を見つめ、その過ちを知り、誤りに気づき改めていくことです。近視眼的に何かを変えてみてうまくなかったから、とか、ちょっと合わない、とか、対立が解けない、といった理由でそれを失敗だった、さらに悪化させた、というのは明らかに誤ったものの見方です。本当の意味での積極性を見いだし得たのは田中氏の側であり、それをこそ、積極的に受容しさらに良い方向に変えていくべきでしょう。この意味で、今回の結果は日本の社会にとっても残念であり、退歩的な風潮が広がることを心配します。

無人ヘリによる空中散布2006年08月09日 21時34分14秒

リモコン操縦無人ヘリと薄く見える農薬
穂に実(米)をつけだしたこの頃、また病害虫駆除の名目で農薬の空中散布をやり始めています。朝、凪でもないのに北の田からやっていたのですが、大勢(十数人)も両側から付いて大げさなやり方です。

好むと好まざるにかかわらず、また望むと望まざるにかかわらず、散布それ自体、近隣の田にかかりますし、ましてや空中散布ではなおさらです。わかっていてやるから始末に悪いのです。そして、ちょっとでも文句を言おうものなら、食ってかかられるのは言った方で、何もわからないくせに、とか言うくらいならまだましで、もっと酷いことにさえなりかねません。

遺伝子組み換え作物の栽培もそうですが、周辺に影響なし、ということはあり得ない以上、そして、それら自体、危険で問題の多い作物となることは明白な以上、即刻中止して考え直すべきでしょう。手間暇のかからない、別の方法があります。なにより、そうして自らの命を縮めたり危険にさらされることこそ、止めるべき最大の理由ですから(わかりきったことなのに)。

打ち水の愚、花火の愚2006年08月10日 21時11分29秒

昨年もそうでしたが、今年もまた、打ち水を大々的に行ってその効果を喧伝し、好ましい風情を演出していましたが、これは言うまでもなく、一時しのぎであり、その場しのぎのまさに、パフォーマンスに過ぎません。また、花火もまた、夏の風物詩のように行われますが、これもほんとにわずかな時間の刹那的な空しい享楽です。

気晴らし、そらし、逃げ。そういったことばで両者は表現できます。本当に考えるべき事態や事項を先延ばしにしたりすり替えたりうっちゃったりする、そんな態度を隠すかのような行為だからです。水を撒いて蒸散させれば気温はその場で一時的に低下する、それは当然ですし、ことさら取り上げて大騒ぎすることではありません。どこか、高くなった気温の原因の追求と対策を避けているようです。問題から逃げようとしているようです。

本当の美しさ、見事さ、彩り、そういったものはごく身近にも見出しうるのです。気づかないのではなく、見ようとしない、見つめようとしないから見えないのです。何より気づくべきはそんな自分自身の姿と態度でしょう。知るべきことを考える、そして行動する、そんな夏にしたいものです。