紳助氏の道理2011年08月24日 22時16分33秒

豊川中心部
今朝のNHKニュースのトップニュースに出たのは、タレントの実力者、島田紳助氏の突然の引退会見でした。NHKが取り上げるのも不思議な感じでしたが、その会見内容を知ってさもありなん、と合点がいったところではありました。メールのやりとりを知られて、黒い交際が明らかとなったので、は確かに直接的な理由とはなります。でもそれについて、紳助氏のけじめのつけ方に重きを置いた録画となっていたように思ったからです。

法律上、どうとかいうことではないのです。でも、その所属集団と社会の中での位置、仕事とその行為の関係は決して暗黙ではない明白な了解事項として知られているわけです。暴力を背景にした行為によって成り立つ集団とその構成員、その社会的な活動に広く社会に訴える芸能を生業としているこの日本の表だった代表的な存在としての彼らはそういった者たちとは一線を画すのは必然的な態度であり、これはその関係性においてルールとして成立している約束事なのです。

およそ、社会の規則・規範に則って私たちもまた、生き、その社会の社会たるゆえんを成り立たせているのです。それを破るような行為や否定する言動などは許容されません。その逸脱がもし、社会的に許されない者たちの存在と結びつくのなら、これは排除されなければならないのは当然です。ですから、賢明な紳助氏は潔く認め、道理として、その範を自らの身をもって示してくれたのだと理解します。そうでない人たちを私たちはしばしば目にしてきました。でも紳助氏の会見の内容はそれを戒め、そのモラルのあり方を述べてくれたのです。それがNHKのトップニュースになった理由だと思うのです。

意味の無い絵2011年08月26日 13時50分41秒

ジグソーパズル
ある場所の壁面に掛けられた「絵」、実はジグソーパズルでした。近くで見て、それはいわゆるジグソーパズルだ、と気づいたわけです。そして、疑問を感じたわけです。パズルをはめて完成させ、それをわざわざ額に入れて飾る、その意味は何なのでしょうか。

そもそも、パズルはその完成品に意味があるのではなく、パズルを解いていく、はめていくその過程に意味があるのです。つぎはぎだらけの、たとえきれいで見事な絵画だったり写真だったりイラストだったりしたとしても、その二次元の描画に美しさや魅力はありません。ましてや、それを額に入れてまで飾るその感覚を私は理解できません。作られた模造品にどれほどの価値があるでしょうか。

およそ、私たちは真実の姿、ありのままの訴えをもった記録といったものにこそその現実の意味を見いだし、その価値を認めるのです。単なる模造の、まさに誰かではなくあらかじめ決められた造作の結果などにどれほどの、たとえば、慰みや癒やしを覚えるでしょうか。どんなささいな、小さな物でも、そこに事実を映す本物の姿があればそれこそが私たちに訴えるのです。作り事、謀、そして見せかけのまやかしに惹かれてはなりませんし、それはあり得ません。

進む破壊22011年08月27日 17時03分07秒

壊す、その1
八ッ場ダムのように、工事途中でも中止、あるいは計画変更などの形で止められることもあると思うのです。いまでも私は現在進行形の自動車専用道路、あるいは高速自動車道の建設には反対です。もうすでに、高架道路の桁や橋脚の並びで景観は台無しです。そして山肌は地肌でそこにコンクリートなどを吹きつけあるいは壁となり、どんどんあるべき姿を壊しています。

以前に記事にしましたが、めだった反対運動も起こらず、いまもまた成り行き任せの工事を放置しています。それどころか、山の麓の大切な神社やその参道周辺はこれから見えなくなるのです。わざわざ墓まで移動させ、このふたつで相当な罰当たりと思えます。ご先祖様に申し訳が立たないでしょうに。

大切な田畑や環境を破壊して得られるのは何でしょうか。さらなる環境の悪化、景観破壊、荒んだ人心の助長でしょうか。いったい、いつまで同じ愚行を繰り返せば目が覚めるのでしょうか。

日本人の敵2011年08月28日 17時39分56秒

アブラゼミの羽化
日本社会にとって今なお不可欠で必要とされ続けているのは何か、とほんの少し考えればすぐに私たちは大切なことをあげることができるのです。それらのいくつかは、たとえば、
  • 言論の自由・表現の自由・思想信条の自由、そして良心の自由
  • 私的生活の自由(つまり他者による侵害を受けない)
  • 他者、特に弱い人や絶対少数の人を虐げない
  • 道理と礼節を弁え他者を思いやる
  • 暴力やとりわけ集団による抑圧を行わない(もちろん弱い人に)
  • 人間としての尊厳を失わせない
  • そのほか、たくさん。
しかし、それとは裏腹に、自己中心的で自分本位の思考・発想やあり得ない欲望によってそういった基本的なことがらを現実には否定して憚らない人間として認めたくない者たちもいるのが現状です。

もしこれが行政や権力あるいは力や権限をもった人たちが行ったらこれは大変な人権蹂躙です。そして、その例はいくつも残念ながら見いだすことができるのです。わかりやすい例として、町の中に設置されている拡声器を通じて昼前(11:30)に人のいやがるある特定の歌手の歌を(メロディだけ)流すのです。人により好き嫌いどころか、苦痛や吐き気さえ催すそんな曲を有無を言わせず一方的に押しつけるなど、言語道断ですが、それを何のことわりもなく平然と強行する、というのがあります。役場や関係者の感覚や人権意識が疑われます。

日本人として、在るべき姿や態度を失いかけていると言われていますが、本来歴史的にかつ社会的にそれを醸成し育成しそして維持し続けてきた私たちの社会がどうも、グリコ森永事件やその少し以前からゆがみ、壊れてきているように思われます。社会を構成するのはひとりひとりの個人であり、その名誉と自由と尊厳こそ社会の存立の基盤のひとつだからです。

なぜ今を生きる2011年08月29日 11時29分07秒

生き物の遺骸をついばむトビ
トビたちはわずかな餌にも目を光らせ、道路の上のせんべいのような遺骸にもくちばしを運びます。そんな生活をやはり、続けざるを得ないような現実がまたこの社会にもあるのです。でもその辛い時間は誰のせいでしょうか。奪われたのは誰のせいでしょうか。弱い人たち、小さなひとたち、たった一人のひとたち、だれもかれも、圧倒的な強者の論理で一方的に虐げられたのです。

あり得ない現実はさまざまな傷害を伴い、人の心や体をむしばみます。対等で、公平で、そして機会均等な健康的な環境なら遜色なくどころか、決して引けをとらないでしょう。すべて、不公平で不公正で不平等な状況から強いられた結果なのです。

生きている限り、すべてその瞬間から始まります。常に、人生は始まりがあって、終わりはないのです。永遠のあしたをつかむために生きるのです。

野ダメ、野田め、野田はだめ2011年08月30日 07時37分36秒

庶民の声
民主党新代表に選出された野田佳彦氏はそれ以前からこの人はダメだ、と評されていたということです。実際、永田議員の偽メール事件後、いえ、彼を死から救えなかった不人情以上の責任、復興と経済の再生にかかるときに増税を積極的に言い出す愚かさ、一国のほんの一握りの拠出(介入)で円”高”を修正できる、しようとする浅はかさ、といった主立ったところでも不適切な、最悪の選択であることは明白です。

のだめ、というのは、野田恵(のだめぐみ)の略だそうですが、(『のだめカンタービレ』)、この人の場合は間違いなくダメ(駄目)ののダメなのです。そもそも、経済やその施策、社会的な役割についての発言や方法論はあまりにお粗末で、全く理解していないとおもわれるからです。さらには、この震災時の現状認識を欠いていることはあきらかで、代表選挙に名乗りを上げる早さやその意図からとても日本や東北地方のことを考えてのこととは思えません。つまり、日本を背負って立つ気概や意気込みを感じさせません。それなりの言葉はあっても、官僚や自民公明の言うことに耳を傾けるどころか、みずから、昨日などは、『信頼を寄せていただく』などという始末です(いただく、ではないノダ)。

小沢氏がいうように、本来、マニフェストつまり国民に対する約束を実行する、そのために野党との協力や協議を行う、というのが本筋です。ましてや、この日本の危機に際して増税を第一に挙げるなど、論外でしょう。自己認識さえおぼつかないこの人を総理大臣に選ばねばならない不幸のつけは国民が負うことになるのです。