連帯と共有、支え合い分かち合おう ― 2013年07月31日 18時55分48秒
写真は今朝のBS1ワールドニュースのフランス2です。イタリアの38名のバス事故の犠牲者の葬儀に際しての二人の映像です。男性は、『どの人もわたしの兄弟だ』といっていますし、年配の女性も『同じ住民で同じくする人たちだ』といっています。つまり、互いを自身と同じ位置に置き、かけがえのない同胞としてどんなときも寄り添うのだ、ということです。ついでながら、いえ、更に、二人共に、助け合い支え合う存在だ、という意味のことをいっています。放ってはおけない大切な存在です。直接は知らないかもしれぬ犠牲者もまた、同じ人間として不可欠であり、守らねばならない、ということです。
困ったとき、あるいは危機のとき、私たちは弱い人、小さな人、救いを求める人、苦しんでいる人、そういった人たちに手をさしのべるのが当然なのです。そこに、分け隔てなどあってはなりません。先の二人もまた同じことをいっています。区別無く、手を携えて歩むことです。今を生きるとき、誰もが同じ時間を共有しているのです。同じ、地球上の空間と社会を共有しているのです。
それにひきかえ、この地の者たちの中には(悲しいことに多くの)情けないほどに人でなしのような言動や行為に及ぶ者たちがいるのです。小さき人、困っている人、声を出せないで苦しんでいる人、助けを求められない人、そんな人の手を叩き叩いたり、わらをもつかむ思いのその人たちから「わら」さえも奪う、そんな行為を平気でする者たちです。そんなところに住んでいることに堪え難い悲しさと情けなさと恥ずかしさを覚えます。彼らに救いの手はさしのべられないでしょう。コメント
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