自由で幸福な存在2010年12月23日 04時23分15秒

光の妙
何度も記事において触れましたが、何もないのに、ただの一度も実態が無いのに、突然、『もう...ない』などと言われる理由はありません。なにより、私たちは実際に接触し、ことばを交わしたとえばなにがしかの約束や契約を取り交わして初めて何かが一度、生ずるのです。その上でそれを検証し、何らかの評価を行うのです。ましてや、他者により勝手に一方的に何かが否定されたり奪われたりあずかり知らぬところで全く無関係に決められたりする理由はありませんし、そういったことになんら責任はないのです。その反対に、誰かがそういった行為や言動を行うと言うことは明白な犯罪行為であり、言うまでもなく、人権の否定に他なりません。たとえ、天皇陛下であってもそんな権利はありません。

私たちは基本的に自由です。どのような選択をしようと、何を自分自身で決定しようとも無関係のまったく接触もない、つまり『居ない人』からとやかく言われる筋合いはありません。ましてや、その自己決定により無関係の第三者から何かを奪われる理由などあり得ません。最初に必要なのは存在そのものであり、そこに存在しないものや人により何かを生じさせることなど社会的にそして現実にも認められませんし、許されません。もちろん、そんなことはあり得ません。

私たちはいかなる奴隷的拘束も受けません。脅迫・強要は犯罪です。暴力・暴力的言動により脅かされたり生活や精神的自由が妨げられたりする環境はこの現代日本において許されません。そんな行為に走る者たちにこの社会に生きる権利はありません。あたりまえのことです。互いを尊重し、その幸福追求を互いに助け合い、支え合って分かち合う社会なのです。決して、理想郷の話ではありません。日本国憲法を持ち出すまでもなく、私たちが連帯して求める現実の社会なのです。

年末の日曜2010年12月26日 11時30分04秒

今朝はかなり冷え込んで、氷が張っていました。部屋の中も寒い寒い。5℃を下回ってこの冬一番の低温となったのです。それでもようやく一週間の風邪が治りかけていて、体調としてはそれほどではなく、まあ、その点は良いのですが、気分はすぐれません。冬特有のSADに加えて迷い戸惑う、その上に神経に障ることが多く、夜もなかなか眠れません。夢なのか現実なのか、全くわからないことが多いのです。訳のわからない状態でした。

午前中は年末の不要品、とくに粗大ゴミとホイール付きのタイヤを軽トラに積んで二人でゴミ出しに。老齢の母に代わって荷物の積み卸しなどには私は必要でした。そのために午前中は家に居なければならなかったのです。でも必要なことは大事で、避けるわけにはまいりません。

午後は借りた本を返しに町まで出向きました。これもまた、必要でした。遠い土地にあるこの図書館に本や人との出会いを求めて時間をかけてやってくるのは必然性と便宜性の両輪で成り立っています。車のない不便さは補われることはありませんがその分、得られることもあるのかもしれません。きっと違う時間を次へと繋ぐことこそその役割なのかもしれません。

自由とは行動である2010年12月29日 20時28分24秒

セグロセキレイ幼鳥
寒さで縮こまっているこの頃です。外は雨あられ、霙で時々雪、これではどこにもゆけません。でも心の自由まで縛られるとなるとこれは問題です。それでは生活が成り立ちません。なにより、それでは何も生まれませんし、何も始まりません。あるのは愚かしい低劣な言動のみです。

一歩踏み出し、行動に移すこと、何かを始めること、そして百の意味を成さないことばよりも一つの実行です。自由を得るためには行動すること、それが私たちを前進させます。自由とは何か、それはまさに行動することです。決して、怯んではなりません。まっすぐに、前を見据えてポジティブな行動に出ることこそ社会の求める自由な人々の生きる姿なのです。勇気一つを友にして!

動物たちも鳥たちも生きると言うことはすなわち行動することだと教えてくれています。じっとしながら次を見つめ、積極的な行動をする、それが生き物の生きとし生ける姿です。言うだけで何もしない、言い訳ばかり、負の選択ばかりを押しつけ素知らぬ顔で弱い者いじめばかりして憚らない馬鹿としか言いようのない者たちに明日はありません。

サミングアップ2010年12月30日 10時26分33秒

私たちはそこにあるもの、現実に存在するものをもとに思考し、相対し、交流します。何もなければそれはまさにあり得ないものなのです。ですから、突如として、あるいは訳もわからないところから『もう、...』とか、『今度は...』とかが誰かの口から出てくる道理も理由もありはしないのです。ただの一度もなかったのですから。

もし、何らかの脅威や危険があるというのなら、私たちは連帯して、力を合わせて立ち向かわねばなりません。暴力や恐怖の言いなりになってはならないのです。一人一人が手を携えて、互いに助け合い、支ええ合い、見つめ合い、すべての善良な人々を守り育てていかねばなりません。決して、きれい事ではなく、幸せならもちろん、そうでないものもすべて、分かち合うことで負担や重荷を減らし、真の豊かな社会を気づかなければなりません。気を発するがごとくに、バン!と思いっきり、撥ね付けましょう。蹴散らしましょう。勇気ひとつでいいのです。

何もしないでだめだとか、むりだとか、いやだとか、できないとか、なんだとかかんだとか言ってないで、まず、行動しましょう。臆病者の言い訳なんて、やめましょう。自由は行動にかかっています。私たちの命のために、まず、行動しましょう。否定的な言動や退行的な姿勢、臆病な言い訳などたったいま、やめましょう。明日のために、行動しましょう。