無関係な自由2010年12月09日 09時06分03秒

遠い岬
私たちはそれぞれがそれぞれの道を歩んでいます。一方で、互いに形成している社会の一員として社会契約の中での生活を営んでいます。これは国家とか地方自治体とかいった立法と行政の結果だけでなく、本来の人間社会の一員であることを意味しています。社会的な動物としての機能面だけでなく、互いを一個の人間として認め合い高めてゆく過程において生きているのです。

ですからこそ、誰かが特定の誰かを意図的に狙ったり恣意的な抑圧・蹂躙・剥奪などの対象としてはなりません。それぞれが、その本来的な意味において独立した人格を持ち、厳然とした基本的な存在であることは自明の理であるのです。つまり、誰かにとって何ら関係のない(面識はもちろん、まったく交流や知己に至っていない)存在である他者を興味本位でつけ回したり悪意やあり得ない歪んだ心情のはけ口としてはなりません。何より、互いに全く無関係だからです。ましてや、知り得ない人と人においてそこに関わりは決して存在し得ません。

私たちはそういった自由な関係性の中で暮らしています。それゆえに、互いを知るのは直接出会い、互いを尊重し合う心ある人間としてのみ接触して話すことのみによりその関係を持ちうるのです。それ以外を基本的にもそして例外なく排除することが社会を社会たらしめるのです。一方に悪意や醜悪さや心ない意図などがあるのなら、決して関係は持ち得ません。

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