まだ農薬を空中散布2007年08月01日 21時27分53秒

空中散布のヘリコプターと「近くにいる」作業者
昨日から水田地帯では小型ラジコンヘリコプターによる農薬の空中散布をやっています。以前のブログでも取り上げたように、好ましい方法ではないこと以前に、農薬をまだ撒かねばならないことに問題があります。確かに、人手による、長いホースを付けて背中に背負った薬品を散布する方法に比べれば、従事者の健康と安全を守り労働量も低くなることで助かることはまちがいありません。しかし、その農薬は依然、致命的な欠点です。

いつも決まって、早朝に行われます。けさは風もあり(南風)散布条件としてはかなり悪かったわけです。それでも、3~4カ所でされていました。病害虫の予防・駆除を前提にされるわけですが、安全性への疑問は常につきまといます。一時的な、稲への付着とそれによる漸近的な(おそらく、消失・流出は自然対数の底(e)の逆関数的になる)効果はあるはずですが、結果としての吸収と土壌への浸透(水をも含めた)を考えるとき、費用対効果の問題などは吹っ飛びます。

より生物学的・生態学的な防除方法を取り入れ、影響の大きい空中散布はいうまでもなく、農薬の散布そのものを無くしていく工夫が求められます。十分な時間と研究は進んでいたはずです。

エゴノキの実2007年08月02日 21時19分23秒

入り口のエゴノキの実
つい2ヶ月にもならない前、いっぱいに特徴的な花をぶら下げていたエゴノキでしたが、ここ1~2週間以来、早くも実をまたぶら下げています。これも、通り道からよく見えるので、夏も変化を知ることができます。

深い森への入り口にせり出すように生えているこのエゴノキですが、山道の両側に門のように2つあって、私たちを迎えてくれています。そんなエゴノキがなぜ、夏に無意味に実を付け出すのか、考えてみてもわかりません。

果実ではなく、かといって種を播くためでもなく、それでいて、果実のような垂れ下がりは誘惑だけでしょうか。実を付ける意味を問い直す、そんな機会を与えてくれているようです。

夏の蕾2007年08月03日 21時11分38秒

特徴的なクサギの蕾
特徴的な蕾として、このクサギの花のつぼみは記憶しておいて損はありません。臭いから、と避けられますが、花がきれいで印象的ですから好きな人は好きなようです。

まだ8月始めということで、野分の去らぬこの日、蕾のままに大風に揺れていました。きっと、数日のうちに咲き出すでしょうけど、このままでも充分、観賞に耐えます。遅れてきた夏の花、その時差を利用して惹きつけるつもりのこの花は何を狙っているのでしょうか。

夕方まで、台風の南風は止まず、緑の稲田を吹き荒れながらの夏の野分はほとんどの生き物たちを追いやってしまったところで、そのいつもと違う夏を植え付けようとしていたのです。閉じて違ったクサギのように、これからを思わせるこの野分は警告をしたかったのでしょう。

今年も女郎花2007年08月04日 21時11分33秒

オミナエシの花
昨日の野分のせいで、どこも何もなくて、収穫は「池」(溜め池)でのギンヤンマだけだったところ、うちの畑に咲いていました。オミナエシはやはりオトコエシより色自体、きれいです。ふわぁ~と広がるその色の鮮やかさは夏でも印象的です。

昨年、山道脇にあったオトコエシは見られず、変わって川の上流わきに揺れていました。いつも、オトコエシは脇に掃き溜めのようにかたまって茎を伸ばして咲いているのであまり美しさはありません。豊かな緑の中に見られることの多いオミナエシはいかにもきれいです。

そんな花のためかどうか、きょうは蒸し暑く、昼間に小一時間ほど降った暖かな、生ぬるい雨のせいでなおむっとして、31℃を超えて湿度が高く、じっとしていても汗が噴き出る暑さでした。もう、冷たさしか、いりません。

セスジイトトンボの池2007年08月05日 21時46分39秒

今年も少ないながらのセスジイトトンボ
昔からの溜め池、今も一応そうですが、もうコンクリート三面張りの情けない「池」なのですけど、それでもトンボたちはやってきます。きょうもコシアキトンボが2匹、縄張り争いをしていて、その中にシオカラトンボも混じり、さらにはギンヤンマが2匹、つがいでやってきました。

そんな中、中央部のわずかな水草の出た場所に群がっていたのがセスジイトトンボでした。これも数年前からいて、強い日差しで尾部の青が輝き、腹部まで輝いて見えていました。はっきりと区別されるのが、胴部の節の色分けで、これに背の筋がわかれば間違いはありません。アオモンイトトンボと違うのは尾部の青の幅で、これで光に輝くとはっきりします。

夏真っ盛りのこの時期、ようやくこの「池」も賑やかになってきたのです。本当に残念なのは、むかしのような、草と木が生い茂った環境ではなくなっていることで、もし再生されるならばもっと、多くの昆虫、とりわけトンボたちにとっての楽園が復活すると思われることです。どうして、こんな形にしたのか、その愚かさが悔やまれてなりません。

クサギの花さいた2007年08月06日 21時14分23秒

クサギの花のひとつ
特徴的な蕾から、これまた特徴的な花が咲きました。クサギはへたをしなければ臭くありません。それで、そっと撮りました。一斉に、ではなく、少しずつ咲くのです。飛び出るような、でも静かな主張がそこに見られます。

暑さは本番で、だから咲いた、というわけではなくとも、強い光とセミの喧噪にも負けない、はっきりとしていて形ある姿はまさに、夏、でしょう。

広島の祈りの一日もまた、静かに、それでいて主張の確かな人々の願いが盛夏にさいたのです。多くの人々に届きますように。

側溝のガマ2007年08月07日 20時57分57秒

道路の側溝に生えたガマ
新しくできた「農道」(実際にはショートカット用の一般道)の側溝にガマが生えていました。こんな場所にふつうはありません。湿地や沼地、水際などに時折、あまりきれいでない場所で見られます。この後者の条件を満たしてはいますが、ここには水はありません。乾ききったコンクリート三面張りの誰もがよく知っている側溝なのです。

個人的にはガマなどは好きではありませんし、きれいだとももちろん、思いません。ただ植物の一つとして、知っておいた、それだけでしたが、こんな道路脇にいくつも生えているとなるとちょっと、興味がわきます。しかもこの暑い夏のさなかです。なぜでしょうか。ここではいずれ、刈られてしまうか、枯れてしまうか、どちらかです。命を自らむだにしているようにも思えてきます。

こういった道路脇にめだつように生える草花は意外にあります。でもその多くは一年も経たないうちに消えてしまいます。植生の入れ替わりというよりもなんとか生えたけれど、生存の条件、つまり環境はそのとき限りの命のみ、保証して後は何もできない、そのままに消された結果だといえます。側溝のガマもまた、同じ運命をたどるのは火を見るよりも明らかですが、だからどうするともいえません。やはり、野の花は野におけ、のことばどおり、その環境の変動に任せるしかありません、人工環境では。

猛暑、今年一番2007年08月08日 21時46分41秒

午後2時過ぎ、寒暖計でも、温度計でも、1.5mでも気温は35℃を指していました。朝から暑く、明け方でも27℃ありましたから、昼は暑くなると思った通り、一番の暑さとなりました。風も南でどんどん熱を運んできているようです。アメダス観測地点(海岸寄り、湖のほとり)では34.5℃だったようですが、内陸(というほどではないにしても)では暑くなります。

こう暑いと何もできません。やり過ごすには居場所が無く、じっとするには狂おしく、という具合です。こんな天気がまだ当分続くのかと思うと「ぞっと」しますが、やっぱり、涼しくはなりません。

九州の暑さと同じくらいになってきたなんて、異常です。以前は昼は暑くとも、夜には22~23℃くらいには下がったものですし、日中も31℃程度でしたから、直接的には台風のせいとはいっても、天の神様を恨みたくなります。 早く、原因の解消の手だてを講じなければ、とてもこれから、やっていけません。

照る日、ひまわりそっぽ向く2007年08月09日 20時46分02秒

逆光のひまわり
過ぎたるは及ばざるがごとし、です。ひまわりさえ、お日様に背を向けて、 写真の通り、反対側を向いています。昼、2時過ぎできょうは35.5℃でした。 午後6時過ぎても30℃を超えていましたから、これはもう、異常です。

日射しの強さ以上に、気温、体感温度の高さを感じさせます。下手をすると ふらつきかねない暑さです。負けていないのはアブラゼミくらいでしょうか。朝から晩まで、よく鳴きます。余計に、暑さを高めます。

適度な暑さ、夏らしさなら、ひまわりも素直に太陽に従ったでしょうか。答えは、否、です。暑さと乾きがひまわりをうなだれさせますし、成長した形でそのままに向きを占めるのです。それでも、太陽に向かう、そんな姿を拒んでしまう、そんな夏です。

輝く反射板2007年08月10日 21時09分45秒

輝く反射板
きのうはかんかん照りで雲一つありませんでしたが、今日まで続いていて、けさは快晴でした。山の上は地平線と同じですから、日の出前で日の光をそのまま受けてしまいます。山上の反射板は眩しいくらいに朝日を受けて輝いていました。

この山は県境にあり、町で一番高い山です。その少し西に反射板があるのですが、普段はあまり目立ちません。それで余計にその輝きが目に入ります。こういう輝きは、人工構造物だとはいえ、嬉しいものがあります。

山々から太陽が抜き出るまで、そののぼりを伝えているかのように輝き続けていました。快晴の朝しか見られない、そのままの反射光です。