春一番か2007年05月01日 20時53分46秒

一日中、南風でした。今もなお、強い風が南から吹き付けています。あさは弱い風と雨がゆるやかに降っていましたが、次第に風が強くなり、午前中にやんだ雨の後、いっそうの強風となりました。それながら、気温はいったんは17℃から19℃ほどに上がったのですが、後急に下がり、14℃から13℃となったのです。

例年の春一番は砂埃も舞うような天候で家々を揺らすかのような大振りな風、気温も上がっていくパターンをとるのが普通です。今日の変化はそれとは異なっていたように思われます。雨のせい、といえばそうですが、気温の低下を見るとき、どうもその風の冷たさが気になるのです。このあいだも記事にしたとおり、今年のパターンはどれも温暖化と裏の「冷たさ」を貼り付けた違った気候の形成の前触れのような感じを抱くのです。

それでも、もちろん、この強風は南からの春一番なのは間違いないでしょう。 確かに、季節は移ろい、変わってはいるのですが、どこか、変動の様子が今までとは異なるように思えてなりません。

一羽だけのチュウシャクシギ2007年05月03日 21時04分08秒

コシャクシギ
今朝の海岸沿いの田んぼには、田植え前ということで水が張られていましたが、この田んぼに一羽だけ、チュウシャクシギがやってきていました。農道下の土手から現れた彼だか彼女はそのまま、田んぼにすたすたと降りていったのでした。

あぜ付近を注意深くうろついて前進、対岸の畦に飛んでまた前進、水田の中を進んで、また対岸に戻り、さらにまた飛んで対岸の畦、という行動を示していました。ほかのシギ類もまた、田んぼの真ん中よりは畦に沿い、その周辺や沿ったあたりでのえさ探しが多いようです。

きょうはいい天気で、朝から照っていましたが、この地でこのシギを見かけるのは初めてです。どこからのかは知りませんが、後数種類のシギ類を見つける以外、この大きめのシギはやはりめずらしく感じられます。

泥をかぶったコアオハナムグリ2007年05月04日 21時28分08秒

泥まみれのコアオハナムグリ
はじめに訂正ですが、昨日の記事のシギはチュウシャクシギだったようです。今日も海岸沿いの田んぼで見つけたので、写真を近くで撮ってよく見たらそうだとわかりました。信じてくださった読者の皆さんにはお詫びします。これからはもっとよく観察して、後でも確認を充分したいと思います。

畑の花にとまっていたのはコアオハナムグリでした。どこぞでかぶったか、泥まみれで、きっと近くの水と混じった土の中に落ち込んでしまったのでしょう。それでも、食欲は旺盛な様子で、花粉をかぶってせっせと食餌をしていました。

この時期、ハナムグリには格好の季節でしょう。花いっぱいで食うに困らず、天候も落ち着いて暖かく活動にはもってこいです。まさに、わが世の春です。写真をとっている私もまた、あたたかさ、というより、暑さの中でほんの少し、うれしさを感じています。気温はほとんど夏に近く、27℃でした。

音楽を聴きながら2007年05月07日 21時36分23秒

けさのNHKニュースのまちかど情報室(続々登場 個性派スピーカー)で 邪魔にならない、手軽でファッショナブルなスピーカーと携帯型・小型プレーヤーを使ったBGM的な音楽の聴き方を取り上げていました。

それ自体は特に問題ないようにみえますが、常に音楽が回りにある、外でもまた聴く、そんな環境を普通にするのはやはり、疑問を感じさせます。それ以上に、危険性を感じます。日常生活でも、様々な音や気配こそが生活環境に潜む危険性や突発事象を教えてくれます。その妨げとなる日常的な音楽は障害にこそなれ、好ましい環境形成とはいえないように思うのです。

不安の中で過ごす、それは確かに精神衛生上、よくないですが、その解消手段として音楽を使うのもまた、逆に不安を増大させはしまいか、と考えてしまいます。静けさの中でこそ、感性や感覚を育み高める、そんな環境となると思うのです。音を聞き分ける、心で聴く、そんな生活と環境を大切にしたいものです。

おお、ヒバリ2007年05月09日 21時11分48秒

あさの動きのあるヒバリ
あさの道すがら、春先からずっと、とりわけ五月には多くなるのはヒバリです。おお、ヒバリ、たかーぁく飛べ、、、、と歌うように、高く舞い上がって唄うヒバリは春そのものですが、この時期、早朝は地面に降りてうろつくのもまた日課として頻度が高いようです。

朝の光の中、草原に降りて探すのはえさでしょうか、それとも今日の希望でしょうか。まぶしさの中、少し先を見据えて歩くのが特徴的です。きょうの望みこそ、かれらの探し物なんです。

水平飛行と見事な着陸のすべるような動きはほかの、たとえばよく見かけるセキレイ類とも、スズメたちとも、ノビタキとも、ホオジロとも違っています。ちょっと上向き加減にすーっと着地するのが春らしくみえるのです(どうして)。飛ぶ様はまた、シギ類やコチドリにも似ています。羽の格好がそう見えるのです。どこか、それぞれのしるしを持つのも、同じ鳥類だからでしょうか。

醒めた春2007年05月11日 21時39分50秒

きのうの午前中からのひどい北風で一気に下がった気温は冷たさをもまたどっと運んできてくれたようです。きょうも午前中いっぱい、冷たい北風が吹いて、春はどこなの、といった感じでした。

熱が醒めたかのような、急に血圧が下がってふらつくような、そんな気分になった昨日の雨風ときょうの、晴れてはいたのに寒いほどに思えた一日だったのです。

どこか、このところ、寒気を伴った低気圧の通過とその反復が気になります。この間の記事と通じますが、本当の春とはいえない、急な暑さとその反転をもたらす変動がこれからの大きな気候の変化の予兆のような、そんな危惧を日々感じています。

午後の残り2007年05月13日 21時11分49秒

午後の光に照らされて輝く湖面と水面と浮かぶ緑
湖の水と川の水、そして今は田んぼの水、そんな静かな日曜の平面の水平さに、午後の光は高く上がって低く降り、水面を朧に輝かせます。そんな風景を小高い湖岸から見下ろし、見通しているとちょっと気持ちもよくなるのです。

こちらの町の湖はとくに、ほとんどが護岸工事の憂き目に会い、自然の湖岸は消えています。残った突き出しの場所とわずかな岸辺さえもほとんど昔の姿は保たれてはいません。それでも、その緑と砂はかつての美しかった湖の面影を今に伝えているのです。それがこの光に照らされて、浮き上がって見えていたのは印象的でした。

くっきりと見えると幻滅さえ感じさせるものも、こうしておぼろげに照らされて見られると違って見えてきます。その形こそ、私たちに訴えかけるものを持っているのだと思うのです。昔日の姿形を知るものこそ、その中に湖そのものを持っているのです。私たちが、それを考えずして、誰がそうしましょうか。

ノイバラ満開2007年05月14日 21時23分48秒

ノイバラのかたまり
いつもの朝の散歩道、脇にはもう満開でいっぱいのとげを持ったノイバラでいっぱいです。何より、その香りがいいのです。上品な匂いは朝にぴったりです。

白い花がいくつもひとかたまりになって大きく見えて、そこから芳しい香りが漂う、というより、発散されている、そんな初夏といっていい朝はでも、どこか、さみしげです。そう、ほかに、目をひく生き物がいないからです。

この周辺にはなぜか、鳥たちも、獣たちも現れません。クマンバチたちや花アブやなんかのほかは何もいません。そう、一帯がちょっと違っているのです。

今朝、一斉に2007年05月15日 21時45分17秒

トベラの花、咲きし朝
今朝は早くに降雨となり、その後晴れてきました。そして、きのうとは違った光景を目にすることになりました。海岸沿いのトベラの木がすべて、全体ではなかったにせよ、一斉に花を開かせたのです。

昨日からの少しの気温低下、今朝の水分、そして晴れ上がり。その変化とリズムが開花を促したのだと考えています。昨日までは見なかったのですから、どれもこれもが急に、しかも一斉に開花するのはちょっと、驚きです。これからどんどん、暖かさとともに木全体が花で覆われることになるでしょう。

道を歩くと、きょうもまた、芳しいノイバラの香りをかぐことができます。きれいな朝の喜びが生き生きとしたみずみずしさを運んできてくれたようです。

強風のマルバグミ2007年05月17日 21時31分48秒

煽られて裏を見せて覆うマルバグミ
今朝の風は台風かと思えるほど、強いものでした。家も揺れ、しなり、風圧をじかに感じさせるほどでした。でも家も私も耐えました。そして、そんな風の中、歩いてきました。海岸近くのマルバグミはその南風の中、必死に全体を絡めて丸くなり、裏の白い葉を前面に覆うように形造っていました。

海は白い漣が全体にあり、ささくれ立った畳か板のようで、濁った水の青黒い中、白い無数の刃が立っているかのような光景でした。押されてそれでも抵抗し、白い幾筋ものかえり立ちはその力を示しているようでした。

この強風はこれからはまた、増えてくるのではないか、気候の変動の具体的な事象のひとつとして、その姿を前もって見せてくれているのではないか、そんな印象をもった今朝でした。