冬のような天候2007年05月20日 22時34分09秒

全国的に、きょうは好天とのことだったようですが、ことここではまるで冬か春先のような天候でした。きのうからの継続的な冷たい雨、強まる北西風、冬と同じ時雨、吹きつける雨風、気温の低下とその持続、この時期・季節にはなかったような10℃ちょっと、という中、外を歩いても初夏らしさとは程遠いものでした。

とにかく、「寒い」のです。じっとしているとその冷たさをひしひしと感じます。どこか変です。曇り空で変化も著しく、冬空そのものでした。

この間からの記事で取り上げていますように、気候の変動はとくに急速に進行しているように感じられます。この冬の暖かさとは裏腹のこの冷たい春の入り込みはどうも気がかりでなりません。とめられないほどの間違いのない、変化が狂わせてしまっているようです。早く、事実をつかみ、知らしめ、できることをしなければなりません。

マンテマも盛りに2007年05月22日 20時04分05秒

マンテマとコバンソウ(左)
道端にはもうマンテマが咲いていました。特に、海岸沿いのアスファルトのそばの草地にはいっぱいです。例年は、別の道路沿いにびっしりと咲いていたのですが、今年はそこはコバンソウで埋め尽くされています。もちろん、マンテマもあったのですが、その数は数えられるぐらいです。変遷があったというよりも、優勢になる理由があったからでしょう。

この花はしかし、誰もが知っているように、あるいは気づいているように、きれいな場所にはあまりなく、このような道路沿いとか、荒地とか、そういった「汚い」(いいすぎか)場所に多く咲いています。むしろ、その環境の人工化や荒廃のある部分のある程度の指標にさえなるのではないか、とも思えます。こういった場所を好む、もしくはその環境に適応する、そんな植物が増えているようにも思えます。これもまた、環境の研究のひとつとして、重要な課題となります。

それでも、この紅色の花はそれなりにきれいで、群生しているとかなり目を惹きます。あだ花といっては気の毒ですが、私たちの自然に対する行為の結果として、その姿を見せるとはなんとも、心苦しい色ではないでしょうか。

春のオグロシギ2007年05月24日 21時49分01秒

光適度にあたったオグロシギ
ここ数年の早朝の観察では見たことがありませんでしたが、けさ田んぼに 現れたのはオグロシギ(雌雄不明)でした。もう太陽はのぼっていましたが まだ横光で陰になると暗く映り、色を見るのはそのまま光が当たると、 却って白くなり、自然の色を知るのは少し難があるところです。

なんでも、春はめずらしいとか。私にしてみれば、朝、一羽だけこのシギを 見るのはまた、めずらしいのです。しきりに田んぼの中の水生昆虫やなんか をつついてとって呑み込んでいました(別に写真あり―ここでは一枚の制限でアップできませんが)。

飛び去るときには悲しそうな声でピキーッ、とか鳴き、後姿は白地に黒の線がありました。例によって、シギ類の特徴的なカシオペア座の羽根を広げてです。畦や道から見るとそう大きくは見えません。どちらかというと、小さめに見えました。単独での飛来は何か意味があるのでしょうか。この間のコシャクシギもそうでした。その前のイソシギもそうでした。ちょっと、さびしさを感じさせます。

濡れたスイカズラ2007年05月26日 21時27分33秒

昨日の雨の乾かないスイカズラ
いつもの帰り道、山の斜面に一面(一部です、もちろん)にスイカズラがさいていました。数日前(3,4日前)はなかったので昨日の雨の後に咲いたようです。当然、今朝も乾いていず、濡れていて残念でした。そうです、それではにおわないからです。

日当たりのいい道では、まだ相変わらず、ノイバラのいい香りがぷんぷんと漂い、気持ちのいい朝でしたが、甘酸っぱいスイカズラがまだ匂わないのは口惜しい感があります。明日、乾けば匂ってくるのでしょうか。海岸沿いでもトベラが満開でこれまた、違った香りでいっぱいです。風があまりなくて晴れ上がった朝など、発散しやすいのでしょう。

でもきょうは、朝から曇ったような、霞んだような天候でした。午後にはさらにひどくなって、灰色がかった薄黄色で、予報どおり(これまた残念ながら)黄砂に見舞われた日本列島でした。たぶん、あしたもこうでしょうね。

目立つヤマボウシ2007年05月27日 21時22分16秒

揺れたヤマボウシ
道の上に、山の端が迫っていると、木々の息遣いほどに近くにいのちの息吹と静かな躍動さえ感じるものです。もしそれが鮮やかな花々ならばなおさらでしょう。実際、この季節、その花の咲き華やぐ時として、それを私たちはいやでも受け止めるのです。

日曜の午後、北よりでそれほどではなかった気温の中、南の山の裾野の道ではエゴノキの鈴なりの花がにぎやかに揺れ、しばらく行くとひらひらとして大きく目立つヤマボウシの白い花です。花自体は真ん中の杉だまのような丸い粒ですが、花と見まがうひらひらはとても目を惹きます。揺れたので写真映りはいまいちですが、暗い北の斜面に浮き出たかの様な姿に思わず歩みを止めました。

清楚な美人の一人姿にたとえるつもりはありませんが、引き立つ形を、その色を前面に押し出していると間違いなく、その存在はその場の象徴でしょう。きっと、それ以上に、私はその現出を望んでいたに違いありません。

松岡農水相の自殺2007年05月28日 21時38分30秒

自殺という形で命を絶った人を後から悪くは言うまい、と誰もが思います。実際、この松岡大臣も大きな疑惑を払拭することなく、かつて多かった「秘書の自殺」と事実上同じような理由で(と推量します)持って隠さざるを得なかった、そんな方だからこそ、どうにか自身でその死の覚悟の上で解決を図れなかったのか、と残念に思います。その意味でとても気の毒です。

でも、問題なのは、おそらく当初から同じ代議士・党員ならわかっていたはずの問題を抱えた人を任命し、庇い続けた首相の態度とその意図です。死を選ばせたのは、死まで結局のところ追い込んでしまったのは、本人以上に、とめられたはずの首相です。早い段階で、退かせ、大臣の重責をおろさせていたなら死をもって、とまでは至らなかった、と信じます。農林水産行政の責任者として、あるべき姿勢を持ち得なかったのは周知の事実を軽く考えすぎた首相の浅はかさゆえ、それこそがこの結果を招いた主因だと思うのです。

この現実と世論調査といくつもの疑惑や失言失態を見るにつけ、安倍内閣はすでに死に体であり、この象徴的な現職閣僚の自殺そのものがこの内閣の自死に至る頂点でしょう。首相こそ、潔く、今すぐに総辞職して終わらせるべき、そのときだと私は思います。死を持って守ろうとしたものが何だったのか、政治家はどうすべきか、「美しい国」を造りたいのなら、決断して国民に問うべきでしょう。