合意・約束・実行2009年12月03日 20時09分10秒

社民党(の福島党首)はこのまま沖縄県内での米軍基地の移設に収まるなら重大な決意をしなければならない、と明確に述べました。ふらふらしていた民主党の主要閣僚や首相自身、また米国の圧力に当初のマニフェストを反故にしようとさえしている状況に対するアンチテーゼとでもいうべきものです。国民や沖縄県民に対するマニフェストでの約束、連立合意の両方をなし崩しにして自民党政府の情けない日米合意の効力を認めようというのです。それもしかし、実行は先送り、と鳩山首相も平野官房長官も述べました。三者どれもなしえない、とはどういうつもりでしょうか。

およそ、私たちは、対話をし、ことばを交わし、肌で感じ、気心を通じさせ、互いを信じるに至り、初めてその実行行為に意味のある(有意な)内在させるべき礎を共有します。それは自明のこととして、かつ論理的にいうならば、まず、その行為が実行されるとの信頼性を持つに充分な価値の有意性を知ることから始まります。そしてその行為の提供と叙述に対して互いに約束しうることばが共有されて初めてその合意へと進むことができるのです。つまり、順序と論理を理解して双方ともに一貫性をもって信用しうる場合にのみ、効力を持つのです。

しかるに、今の民主党閣僚も政府もそれを示すに至っていない現状はとても信頼しうる状況でも存在でもないということなのです。これはなにも政府等に限りません。何をもって始め、何によって信頼を得て、どのように実行行為をことばとして信用せしむるのか、という問題はひとえに当事者の(いうまでもなく、直接的な接触・対話に基づく)意思と虚偽や変動のない姿勢の明示にかかってきます。まず、明確にその行為の証を立てることです。何より、建設的で前進的でポジティブであることは必然の要請です。破壊・剥奪・蹂躙など、言語道断です。何より、人間であることを認識し、再確認することは大前提でしょう。