忘れられること2013年10月01日 20時35分54秒

カルガモの群れ
愚にも付かぬ理由(日銀短観)で首相は消費税8%への来年4月からの増税を発表したのですが、その会見のことばや文は明らかに作られたものでした。不自然な言い回しや使い方を聞いていると、しかもその単純な文の「わかりやすい」言い方はどうもそうすることを意図したものだということが分かるのです。安易で他人の不幸や社会状況などまったく顧みないひどさを知るとき、この人はいったい、誰のために、そして誰によってこの役を演じているのだろうか、と悲しくなります。

日頃、あまり交通機関を利用しないせいか、生徒達が記述するのをみていると、この地域の何を本当にわたしは考えているのだろうか、と内省してしまいます。現実に利用する未成年の彼らとは生活の様式も形態も方向も異なっているのだ、と実感します。そして、自分自身の生活圏にはない風景と環境をことばだけで素通りさせてしまうとき、もうすでにこの地域の思考に入らない部分を知るのです。

多く、自動車の利用の自意識による推進と不便さの解消のためになおさらに交通機関からの迂回と排除を進めるとき、わたしたちは社会の成り立ちにこれまで大きな役割を演じ、なお若い彼らの意識に深く根ざす風景から遠ざかることに私たち自身が衰退と衰亡に加担しているのだと感じさせられざるを得ません。失うわけにもいかず、かといってその不便さからは逃れることしか生活そのものを成り立たせられないジレンマの中、ただ記憶や意識から外に追いやる以外、方法のない今をどうするのがいいのか、考え込んでしまいます。解決策などありません、と言い切ることは一つの逃げ道でしょうか。

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