なぜ早い準備をするのか ― 2009年06月18日 20時31分11秒
海開きは例年、7月1日と決まっていますが、普通、この時期は梅雨まっただ中で水温も低めです。泳ぐ人などいませんから、なんで形式的な行事をするのか、いつも疑問を感じるところです。実際、現状、空梅雨とはいえ、6月半ばに早々と草刈りをして海に浮かべる浮子、看板や案内標識、ひも、その他の準備をもうして終えるのもはなはだ疑問です。
望まれるのは集客と出入りの際のお金、周辺に落とすお金です。いわゆる、海水浴の経済効果を狙ってのことですが、近年、それほどいませんし、ましてや、泊まり客は激減、民宿も実入りは期待できません。それでも6月にあわせて準備をするのはどうしてなんでしょうか。もちろん、直前にしても間に合わないし、にわか観光協会の面々にとってそれは余計な、面倒な作業です。それでも半ば強いられたかのような習慣的な行動にはどこか、強迫観念がついてまわります。
およそ、物事の遂行のために、事前準備が欠かせないのは確かに理解できますが、それとて、あらかじめ決まった実行と結果のための約束事のようです。ほんとうに、それらを行ったからといってそれで確かに成果や効果が上がることは決して保証されませんし、どれほど有意味かはかなり疑いの残るところだからです。いつでも、その場その時に有効な手段と方策で最適の当為による成果を期待する、そんな真に意味のある、有意義な、持続的な活動や行動こそ、ほんとうに求められるものなのです。コメント
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