湊かなえ『告白』の主題は ― 2009年05月24日 21時04分21秒
2月13日のブログの記事にあるように、この本も同じ主題、つまり、内容においての主張ではなく、この題名の「告白」をさせる形での四者四様の視点と立場と何よりその心の内の吐露が浮かび上がらせるところの異なる姿と様相の対立と対峙において意味するところをどれだけ伝えて成功したか、ということにあります。湊かなえ氏がどうしようとしたのかは不明ですが、この作品、『告白』、では並立ではなくあくまで悠子先生の心情と心理を基礎にしたという点で他の作品や試みとは違って見えます。
嚆矢は、イギリスの作家、アンソニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』です。この道具立てをそっくり使って違う形で実現させたのが、貫井徳郎の『プリズム』だったわけです。これも解決はつかず、またどれが中心的でもなく、両者はその点で似ています。ただ『プリズム』はかかわった者達そのものの立場で描かれていますからそれは異なります。これは、2月13日の記事に取り上げたように、津村記久子の『冷たい十字路』に引き継がれています。これらとは同じにならず、敢えて、避けるべき手法を使ったのが今度の『告白』だったわけです。内容においてそれは成功していますが、方法論からいえば好ましいとはいえないかもしれません。倒叙法形式での犯罪心理小説としてこれもひとつの実験ではあるわけで、広く読まれるにはむしろ読みやすい仕立てに仕上がっている、といえます。風薫る、そして麦秋 ― 2009年05月25日 20時05分50秒
香る道は楽しいものです。風はありながらも、ノイバラのかぐわしさは満開の花共々、とりわけ眼を惹き、注意を引きつけ、嗅覚を全開にさせてしまいます。同じく、スイカヅラも早咲き始めて甘酸っぱい匂いを放散させています。海岸沿いではトベラの花もかなり咲いていて、上品な香りを漂わせています。道々、他にも木の匂い、檜の香りに似た匂いなどが充満していて、晴れて穏やかならなお良かったのに、と少し残念な午後でした。
でも、この風情と情景は年々歳々薄れてきています。あったはずの場所は削られたり踏みにじられたり、壊されたりして改変と破壊が進行しています。城山の土手っ腹に大きなトンネルをぶち抜いたように、そういった行為に何のためらいもない輩が平然として命やその宿る神聖な環境を奪っているのです。緑を、静けさを、爽やかな空気を、そして豊かな水溢れるこの地域を彼らは守ることも手を付けないでいることも、共存や共生にさえ思い至ることもないのです。代償を払うのは彼ら自身であることを思い知るのはいつでしょうか。偶然のセンダン満開 ― 2009年05月30日 20時29分15秒
これもまた、自然というもの、と安易に思いがちですが、実際にはその生育場所は自然の地ではあり得ないわけで、こういった人工環境に再度戻る形での成長は珍しくはありません。そうして放置、放棄された空間に占める偶然種、突発種、移転種の(もちろんこれらは学術用語ではありません)種類や数は意外に増えているのかも知れないのです。過疎化や虫食い的空洞化による生育地は近年この田舎町でも増えてきているからです。いなくなってくる人口減少は止まりませんし、事後対策も保護も保全も改善修復も全くなされませんから。
これから、いえ、今何をなすべきかについて、行政当局は全く構想すらないようです。てんでばらばらな、なすがままの住宅建設や地域・集落の不安定化に伴うエントロピーの増大は社会的な無秩序や荒廃と景観の破壊を進行させているのです。このセンダンはそんな町や環境全般のひとつの指標的な存在としても見ることができたのです。TOEIC公開テスト ― 2009年05月31日 21時15分14秒
それにもまして、受付時の係の者の小声に気分を害し、試験終了時にまた前と後ろで嫌な話など、とても公正なテストとは言えない状況でした。試験官自身、公正さを破ったわけです。また、冷房を入れたり切ったり、最後の回収も解答用紙と問題用紙を取り違えてまた取りに来ておいていくなど、数あわせももたもたしていて不手際も目立った連中の監督でした。さらには、リスニング問題は男と女の聞き取りにくい(悪い発音と話し方の)アメリカ英語のみでした。
実際、前回も思ったわけでしたが、アメリカ英語偏重の中学以来続くその延長線上にあるような英語のとどめのようなテストです。試験監督と運営上の問題もしかり、リーディングの問題文も必ずしも良い英文とは言えないわけで(というよりほど遠い)、試験会場の環境問題とも併せて、ほんとうに英語の疎通能力を測るという目的からは外れていると思えます。これは決して、負け惜しみや言い訳ではありません。もっといえば、TOEIC自体に上記を含めて適切さを著しく欠くところを内包しているとしか思えません。もう、受けたくありません。



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